「始点と終点を整理する」

○始点と終点を整理する

 

 ヴォイトレは、スタートもゴールもあいまいなままスタートすることが多いのです。トレーニングのなかでは、そこを整理して自分の位置づけや目標を、より具体的につかんでいけるようにしていくことが目的の一つです。

 「レッスンでは、メニュや方法を用いて、目標と現状の間にあるギャップを埋める」というと当たり前のようですが、現実には、とても難しいことです。

 全体の把握なくして、きちんとした位置づけはできません。

 サッカーなら「強いシュートを打ちたい」ということを目的として、練習で強いシュートを打つことだけをやっても、他の要素も整えない限り使えません。PKのように無防備のなかで打てるシュートは、ほとんどないからです。ボールを受けてシュートに持ち込む、パスを受けられるところに走り込むなど、「シュート」するために、たくさんの条件がついてくるからです。シュートが打てても「試合がない」「試合があっても、試合に出してもらえない」など。総合力がまったくないシュート請負人などはいらいでしょう。

スポーツや楽器のプレイヤーなどでは、当たり前のことが、声のレッスンにおいては、とてもいい加減に扱われていることが少なくないのです。

○「歌いやすさ」より「自由度」

 

 すぐに本番に役立つ、アドバイス・レッスンでは、比較的、明確な目的ですから、早く、よりよくすることができます。

 歌唱レッスンでは、悪いところで目立つところから直します。でも、その前によいところをみつけ、いつかそこをもっと伸ばせることに気づいたら、ずっとよいことでしょう。

 ヴォイトレでは、共鳴、発声、発音などを、歌でこなせるように改善が求められることが多いのです。そういうときは、くせがついていて固めていたり、うまく解放できないところを脱力して、よい状態で発声できるようにします。人によっては脱力して解放すると、自由度が増す分、歌いにくくなることもあります。このとき「歌いやすさ」より「声の自由度」を選べる人は、本質をつかんで、かつ勇気のある人です。時間はかかりますが後で伸びていく少数の人といえます。

 

○アファーメーションとしてのヴォイトレ

 

 声域を少し広めにして発声で慣らします。歌の音域、声量よりも少し広めにとれるようにします。発音、メロディ(音高、音程)やリズムを基本や応用でチェックするのです。

 声をしっかりとコントロールしていきます。確実に声にして、共鳴にもっていきます。このあたりは声楽の基礎といったところです。

 プロの最低レベルのところでも、このあたりはできていなくてはなりませんが、できている人は稀です。確かな目的への第一ステップとなります。

 

○ことばと発音

 

 せりふやナレーションなどでも同じですが、ヴォイトレで「ことばを使う」と発音本位になりがちで多くのケースでは、発声が中心はなりません。本番とあまり変わらないことで、リハーサルのようなレッスンになることも少なくありません。

 これを母音や子音に分けて、厳密なチェックをして、よしあしを判断し、直していくとヴォイトレらしくなります。

 しかし、この場合も、声より発音やアクセントのチェックで終わることが多いようです。もう一つ基礎に踏み込んで母音の単音やハミングを中心にすればよいのですが、そこまで戻れるところは少ないようです。

 

○イメージの共有

 

 私は、その人のレッスンとトレーニングの位置づけとイメージを共有するため、最初の説明を細かくしています。

 私なりのイメージで相手の今の声、発音、フレージングあたりの出来不出来、目的とそこまでのギャップの埋め方などを示します。

 これが伝わることも伝わらないこともありますが、気にしません。伝わっていないときは手を変え品を変えて、その人にわかるイメージに近づけていきます。トレーナーも同じです。

 最初は、私のイメージや感覚に合わせてもらうところからスタートします。そして、少しずつズレをとっていくのです。

 

○似ていることでの注意

 

 その人の呼吸の延線上に素直に声が出てくると、それは必ず私のものとは異なってきます。

それをもって(本人であることをもって)よしとするのが、よいトレーナーです。

 「自分に似ているか」「同じレベルで同じにできるか」ではありません。

「その人らしくその人の声が出ている」のが、それが声に表れているか、その人が表れる、感じられる可能性のある声を引き出すのです。その点、似ていると、却ってやりにくいこともあります。

 

〇シンプルにする

 

 歌うとなると途端に難しくなる、つまりいろんな要素が入ってくるので雑になるのです。その難題に挑戦している人が多いのですが、私のヴォイトレでは、最も簡単なフレーズや言い回しでチェックするのです。

 それは。1オクターブ半を3分かけて歌う世界からは遠く離れているようにみえます。出している声や発音さえ異なるように思ってしまうものです。

 しかし、そこの感覚のギャップにこそ、あなたの声とイメージとしての限界が含まれているのです。それを解放するために、ありきたりとみえるヴォイトレのメニュを徹底して丁寧に使うことを必要としているのです。

 

○トレーニングの紆余曲折と結果よし

 

 限界をみてどう処理するのか―その前に、まとめてテクニカルに処理するのも正攻法です。しかしトレーニングでは、一時、迷ったり悪くなっても、後にトータルとしての力がついていたのなら、結果としてOKです。

 しかし、本人は不安でしょうから、それらを説明することもあります。スタート(今)からゴール(将来)、までの間にいくつかの目安を入れていきます。

レッスンやトレーニングでは「ど真ん中のことだけをやればよい」というものではないのです。できたら、「どちらかで冒険し、どちらかで徹底することが望ましい」と思っています。

 

○休むと喉は疲れる

 せりふや歌は、知らないうちに疲れを喉にためていきます。やや疲れたときのほうが表現として、より働きかけるといえます。そのためにわざと続けたり、かすれさせて声を使う人もいます。いわゆる、「のってきた」状態です。「のってきた」ときは、もうやりすぎ、使いすぎているものです。

 無理しなければ状態が悪いことを悟られずに、何時間かはできるでしょう。間に長い休みをとると、声は疲れを表に出してしまうのです。使いすぎて少し麻痺、喉が休みをとろうとしているのです。

 ステージの間の休みの取り方は、難しいケースが少なくありません。

 「ステージでは疲れないようにすること」

 「疲れていても疲れを見えるように出さないようにすること」です。声も似ています。元気のない声、ハリのない声では、価値がつけられません。

 絶好調ののりのときに喉(声帯回り)は、もう疲れていると考えておくことです。「喉も消耗品」と意識することは、トレーニング中にリスクを減らす一つの考え方と思います。