「離見と声と体」

○一人ではみえない

 自分の身体のうち、みえるのはどのくらいでしょう。股間や頭の後ろ、骨、内臓など皮膚の下はもちろん、見えないのです。顔は、鏡や録画したもので見ることはできますが、そのままではないでしょう。病院でレントゲンやスキャン画像をみても実感できません。

声も同じです。スピーカを通じても、録音を再生してもリアルではありません。なのに、他人にはまる見え、いえ、まる聞こえなのです。まして、それを、踊るにしろ歌うにしろ、コントロールして出すのが簡単なわけはないのです。

 

○自分ではない

 自分が自分ではない状態、焦って慌てているとき、事故などで茫然自失なとき、酔っぱらったとき…などを考えてみると、人前でのステージで緊張したりあがったりしているときというのは、自分が自分であろうはずがないと思うのです。

 そんな状態に備えずに、自分の肉体を鍛えたりダイエットしたりして、その先に何をみているのでしょう。じっくりと考え、自分を取り戻しましょう。

○外から形づくる自分

私たちは、裸を衣服で隠して外に出ます。裸で自分だと見せられる人はそうはいないでしょう。メークをし、着飾り、ブランド品を身に着けると、イメージを変えます。

「だから、その人の正体は、その声を、肉声を聞くことだよ」と言ってはきましたが、もっとわからなくもなります。みえないんですものー。

それでも、服を着て、化粧で顔のパーツを書き込み、形を整えると、透明人間にペンキを塗ったように形が現れます。ます。

お風呂やプールで裸になり、お湯や水に触れて体を実感してみましょう。スキンシップは、外側からの圧で自分を感じられます。自分を感じていくには、他のものを必要とするのです。

 リップは、口元を口唇にするのです。それは、秘部を露わにすること、イメージとして、ですが。

 自分を感じるのには、他人を必要とするのです。それをつくりあげていくと文化となります。身体を加工したり飾ってファッションとするのも文化です。

○排出物への親しみ

 身体の内側から外に出ると、汚いものとなります。鼻水、唾、小便、大便、ゲロ、垢、フケなど、涙を除いて、きれいと思われるものはありません。

でも、内にあるときはそうは言われません。内といっても体内ですが、体の中ではありません。穴や腔や筒というところです。そのうち、無菌ではないところは、腸も含め「体外」です。

そういった“汚いもの”は、文明が遠ざけてきました。しかし、動物や幼い子には、親しいものです。「うんこドリル」は大ヒットしました。

泣いたり、呻いたりする声も出していたものです。それは嫌なものである一方、快感であるという面もあるのです。

○真相

真理を求め続けること、たとえば、ミステリー小説を読んでいく途中、その真相がわかるとミステリーは終わります。そのストーリーは、半ば死ぬわけです。一冊が終わることなく、謎が解かれず終わるのは、残念なことと思います。

しかし、多くは、その後も少し続き、余韻をもって終わります。余談などでまとめるわけです。

最初に犯人など、謎の答えが示されて、それを知った上で読んでいくミステリーも少なくありません。

人生も、どう紐解いていくのか、紡いでいくのか、ですね。

○八雲と声☆

小泉八雲は、左眼は失明、右眼も強度の近眼でした。その分、聴覚が鋭かったともいえましょう。

見るのは主体的、聞くのは受動的です。聞くのは、体感し身体的にくるものです。

彼が、船のエンジン音を「コトシヌシノカミ オオクニヌシノカミ」など「カミ」と呪詞のように聞いたという話がありました。霊的なもの=ゴーストリーは、魂です。欧米でも、アイルランドやギリシャは多神教です。

神道を理解することは、日本人にとても重要なことです。古事記訳は、イギリスの植民地支配上にあった学術研究だと聞いたことがあります。

八雲は、人は、盆踊りに魅了され、懐かしく感じるというのです。鐘の音、物売りの声など、日本には、豊かな音、声の文化がありました。

○話術と胆力☆

言葉を超えてメッセージとして伝わる分が、8割くらいあります。それらを総合して、話術となるのです。姿勢、表情、眼差し、身振り、しぐさ、声、間などに、その人の信念、志、使命感、人柄などが伝わるのです。

スピーチは演じるものです。自分から1つの人格が出てくるようなもので、なり切るのです。その人格の使い分けが必要なときもありましょう。

 「何を語るか」の前に、スタンス、「どういう立場で語るか」が重要です。

 そのためには、聞き手の声、無言の声を聞くことです。何を語るかではなく、聞き手に耳を傾けるのです。聞き手の関心や興味に応え、共感を得られるようにしましょう。そこでは、細やかな感受性が必要となります。

そして、場に呑まれないこと、場を呑むこと、胆力が必要です。

○重さと暗さ☆

 重さ、というのでしょうか、ある意味での暗さが、人も歌も声にも重要です。重要とは、重い要めと書きます。下積みは、重さとなります。表現を支えるその人の重みとなります。

音楽でも、そこにアンチとして、明るく軽い音楽、イージーミュージックが出てきたのです。メインあってのサブ、主あっての従、派生です。

 

○会って話を聞く

直接会ってこそ、聞いてこそ、はじめてわかるものがあります。しかし、私たちは、そうせずに聞いたり読んだりしただけで、わかった気になっていることが、とても多いと思います。できるだけ本人に会って話を聞いてみましょう。

重みもなく、しぜん体でもない人の話ばかりを聞かされているとしたら、不幸なことです。今の日本の最大の不幸の一つです。

 率直さ、飾らなさ、屈託のなさは好感となります。それと、年齢を重ねての、重ねる=思い、円熟味が、人として問われるのです。

●第三者役

 情熱をもってクールになり切るのと、第三者的に演じることは違います。しかし、この二面は、どんな演者、いや、どんな人でも必ずもっています。

たとえば、自分とトレーナーをみます。ここでいうトレーナーとは、自分のなかのトレーナー像です。

私は、トレーナーだけでなく、クライアントと師事するトレーナーとの関係をみる立場です。

その二者の関係をみる第三者です。しかし、演じるときに、これを自らのなかにもてるとするなら、プロでも一流の演者でしょう。

研究所は、個人レッスンやグループレッスンだけでは得がたいそういう複合のシステムを体制にしているのです。

○ひばりの眼☆

 たとえば、「ひばりの歌は、歌っているひばりとそれを正しているひばりと、遠くから、その二人をみて正しているひばりがいる」ようなことを、言ったことがあります。その役割は、ひばりの母親と大正時代のレコード、まわりの一流の歌手や役者だったと思います。

声を出す、それをチェックする、それで進んでいくのではなく、もうそれはチェックされて出ていて、全体の終わるところからみているひばりがいる、彼女の作品にそう感じたのです。

 木のなかの仏を掘り出す、キャンバスのなかに人物を描き出す、そういうのを歌という時系列のものに当て嵌めるのは難しいことです。

しかし、ひばりにとっての歌は、時間ではなく、空間であり、演じる場で、絵を描くようなもの、立体的な3D=リアルそのものだったのでしょう。

○抑える

 自意識は、自己陶酔、自己愛になりがちです。集中して役になり切っても、そこに必要以上の過剰さ、過度さが出てしまうと台無しです。味付けが濃すぎるのは、薄いのよりも救いようがないのです。

 吟味され、抑制され尽くしたものが、至高の芸です。話も歌も文章も表現ならも同じことでしょう。

政治家や預言者は、役者と似て、課された役割を何十回も人々を前に演じているのです。同じテーマで同じ情熱をもって、人の心を動かし続けるのは容易ではありません。

○二度目で超える

 素人が、純粋に真剣な思いでビギナーズラックを起こすのは、自意識が過剰でないところまでです。もし、「感動的な話をもう一度」と言われ、くり返すと、最初のようにはいかなくなるでしょう。必ず、自意識が変に現れてきます。本当の勝負は、もう一度求められての二度目からです。

再現するには、もう一人の自分としても自意識が必要なのですが、そこで初心が保てなくなります。それゆえに、さらにもう一人の自分やトレーナーが必要なのです。

自意識のコントロールで保てるところを超えていくには、話や声や芸、そして、自分をも消し去らなくてはなりません。その二人を扱う、もっと大きなものに委ねるということです。

○二つの昇華

一見、矛盾する次のようなものが、共に芸に必要なのです。

情熱―冷静

大胆―慎重

厳しさ―優しさ

強さ―弱さ

素直で親しみやすい―したたかで狡猾

真面目さ―おもしろさ

○腹にひびく声

腹を据え、自信たっぷり、覚悟をもって話すことです。腹にひびく声には、説得力、強さ、信じるもの、包容力、ぬくもりがあります。決して早口でまくしたててはなりません。

○感じさせる

何事も学ぶのには、聞くのではなく、感じてください。

間、余韻で語られること、そして、語ることは、黙っていればよいのではありません。気やエネルギーのように相手に働きかけていなくてはなりません。

○自分のことば

 慣れない外国語や共通語より、使い慣れていることばを使うことです。方言でもかまいません。わかりやすく明確に意思が伝わること、印象に残ることが大切です。それは自ら慣れ親しんだスタイルからでよいのです。

それが有用であれば、さらによいでしょう。あるいは、それも必要かどうか、考えてみましょう。

 何を伝えているのかは、何を背負っているのか、どのレベルでの対話なのかです。

a.思想―ヴィジョン―志

b.戦略―戦術―技術

c.人間力

姿勢、目線、間、印象、雰囲気、心持ちが、ものを言います。

○筋肉とエイジング

筋肉は、男性で体重の40%、女性で30%を占めています。筋力のピークは、男性で20代、女性は20歳で、およそ40歳くらいまでしか続かないそうです。一流のスポーツ選手の引退も、そのくらいですね。

誰しもエイジングによる老いは避けられません。老けて老化すると、老年症候群、廃用症候群、生活不活発病となります。活発に若々しく生活することが大切です。

○2つの体力

 体力とは、身体能力を遂行する能力です。

1.全身持久力、2.筋力、3.バランス能力、4.柔軟性、5.敏捷性などです。これらは、行動体力、つまり、パフォーマンスと直結するものです。

もう一つは、病気やストレスへの抵抗力や環境に適応する力といった防衛体力(プロテクション)があります。体力は、気力、知力と並べて用いられます。

○喉力

 声力もまた、体力に支えられています。そのうちの持久力は、長く持続させられるということで、スタミナ、粘り強さでもあります。

 しかし、いくら体力があっても「喉力」がなくては声は枯れてしまいます。

呼吸は、筋肉のほか、心肺機能にも支えられています。それらはトレーニングもできるしチェックもできます。 柔軟性やバランス、敏捷性といった他の要素を忘れずに高めていくことです。

○体力のチェック

 簡単な体力チェックの方法を紹介します。

1.筋力

両手を胸の前で組みます(斜め十字)。

イスに座り立ち上がり、また、座ります。

10回で何秒かかるかを測ってみましょう。

背筋は伸ばし、ひざも完全に伸ばすこととします。男女とも、50代までなら8(~12)秒が普通です。

2.持久力

ややきつめの早さで3分間で何メートル歩けますか。

男性40代360m、女性40代330mが目安です。

○筋力の低下

筋量は、20~50歳で10%減少、50~80歳で30~50%減少します。

筋力も運動しないと30歳頃から毎年、0.5~1%低下します。

握力:50歳90% 60歳80% 70歳70%

背筋力:50歳85% 60歳65% 70歳55%(女性45%)

ベッドレストといって、約3週間、ベッドから降りないと下半身の筋量は2~10%減、筋力は20%減じるそうです。

○体幹筋

 次の筋肉を意識してトレーニングしましょう。

・腹筋(腹直筋、腹横筋、腹斜筋)横隔膜

・背中の多裂筋、脊柱起立筋、広背筋、僧帽筋)

・腸腰筋(大腰筋、腸骨筋、小腰筋)

・大殿筋、骨盤底筋

○サルコペニア

サルコペニアとは、ギリシャ語のsarco(筋肉)penia(喪失)から、筋機能低下症候群、筋量減弱症候群と訳されます。次の症状をチェックしてください。

・ふくらはぎを両手でつかめない。

・開眼で片脚立ち8秒未満しかできない。

・立ち座り5回に10秒以上かかる。

そうであれば、サルコペニアの疑いがあります。

〇座りすぎないこと

座りすぎにも気をつけてください。

sedentary behavior、lead a sedentary life

座りがちな生活のことです。日本人が世界一長く、1日7時間ほど座っているとのことです。

○トレーニングの特質☆

トレーニングの特質について、あげておきます。

やめると元に戻ります(可逆性)。反復によってのみ効果があります。

やや強く(過負荷)

少しずつ(漸進性)

部分的に(特異性)

目的をもち(意識性)

人に合わす(個別性)

時期(適時性)

この6つの要素を合わせもつのです。

○続けるには☆

準備と環境を整え、妨げるものを取り除くことです。

時間を決める

変化させる    

無理をしない

他の人と行う

記録する

報酬、ご褒美を与える

信じる

この7つの要素を整えましょう。

○メディカルチェックの必要

 次の4つのことをメディカルからセルフチェックしましょう。

水分、ミネラルの補給

ウォーミングアップ

クールダウン

トレーニングの可否(トレーニングの時間や強度、医療関係者の要、不要)

○健康寿命

健康上の問題で日常生活が制限されることのない期間を健康寿命といいます。(WHO2000年)

日本人では、約10年も寿命との開きがあります。これを短くしたいものです。