「高音域にとらわれないこと」

○声の高さから考えない

 

最初は、あまり声の高さということを考えない方がよいでしょう。何かを相手に強く訴えたいと思ったら、声は高くも強くもなります。そして本当に説得しようとしたら、低くなるわけです。それは結果として決まってくるのです。そういうことを方法論だけから考えるのは無理があります。

トレーナーに習うと、多くの場合、その方法論からのメニュを一方的に与えられます。自分が本当によい声と思っていなくても、それをやることで制限してしまうのです。そうして、おかしくなった人をたくさんみてきました。

たとえばテノールの発声でロックを歌う人は、いないでしょう。テノールの発声の勉強をする必要があるかどうかも、考えるべきことですが、やってみる分にはよいでしょう。

 

○高音発声法での誤解

 

高い音が苦労しないで出る人には、ちょっとしたコツで浅く口先だけで響かせて歌っている人が多いのです。そのため、出ている響きが拡散して、まとまりに欠けます。あるいは、やわらかく抜いて高い音に届かせています。どちらも、体の支え、胸での声のないのが特徴です。実際には、胸部の共鳴はしていなくてもよいのですが、多くのトレーナーの教えているのが、この浅い高音です。

そのメリットは、すぐに高い声にあてられるようになることです。カラオケのようにエコーの中で高音に届けばよい人には、効果的です。

そこからパワーを出すには、どうするかを考えてください。響きをより集約させることと、深い声を探求してみてください。

何でもやってみるのは悪いことではありません。やりやすい方法でやってみるのもよいでしょう。きっかけを得たり、あとで効いてくるかもしれません。応用してみるうちに柔軟性が高まったり、気づいたりすることもあるからです。人によって、よしあしは違います。

高音を学びに高音のヴォーカリストの元に、多くの人がいっていますが、結局、生来、高音のヴォーカリストに、根本のノウハウはありません。生来もっている声がそこになければ、さしたる効果をあげないのです。

最近のトレーナーの本には、高い声を出すことについてのしくみやその鍛え方が丁寧に書いてあります。これにも多くの勘違いがあります。メニュをみても、その高い声を出してトレーニングすることができるなら、最初から出せているのです。それは少なくても高い声を出せるようになるトレーニングとは違います。すべての人の声区やチェンジのポイントを一つの音高にしている乱暴な教え方もあります。人それぞれによって全く違うし、曲や歌い方によって異なるケースも少なくないのです。

 

○声をそろえる

 

苦手な母音は、どうしても響かない声になってしまうものです。こういう場合、弱点をなくすより、できているところをより厳しくチェックして、完成させていく方がよいでしょう。他の条件が宿るまで放っておくのも、一つの方法です。もっとも出やすい音(発音、音高)で、トレーニングしてみてください。

ほとんどの場合は、根本的な問題として、体からの深い息づくり、深い声づくりができていないからです。これには、ブレスのヴォイストレーニングから徹底してやりましょう。共鳴を頭部、胸部と分けるのでなく、そこに一本の線があって、喉にかけずに自由にバランスを変化できるようにイメージしてみてください。

 

○響き、共鳴をつけるということ

 

歌うときに、胸の真ん中と軟口蓋を意識して響かせるのか、それとも眉間に響かせて意識して歌うのか。この問題は、歌唱発声について、簡潔にしか答えなかった私の真意を説明するため、意図的に詳しく解説してみます。

教科書的に答えるなら、低い声は胸声、高い声は頭声で眉間や頬骨などを意識してくださいということです。でも現実面、相手の状態をみないで与えるアドバイスは一般論にすぎず、すべて有効なのは各論(個人別のそれぞれの問題に対するそれぞれの対処法)でしかありません。やり方に対して、やり方を考えて、複雑にしていくのはおかしいのです。

まず第一段階として、体(発声原理)に基づいた回答でよいのか、どうかです。ポップスのヴォーカルや役者にとってのめざす声のイメージは、このような質問のベースとなっているクラシックと異なるものであることが多いのです。クラシックでも、全く異なる見地の人もいます。つまり、その人の目標として、何をめざす声なのかから、切り離せないのです。ところが、本によるメニュやそれを使った独学のヴォイストレーニングのレッスンによって、多くの勘違いが生じています。

軟口蓋、眉間に響かすなどということばは、たぶん、声楽家やトレーナー、もしくはその類の本から得た受け売りでしょう。それに従って学ぶこと自体が、目標においては、正しくないこともあります。つまり、こういうステレオタイプから、一流のポップス歌手は生まれ得ないということです。

次に、主としてトレーナーの述べるこういうことばがどのくらい妥当性があるかということです。まずは、どこかに響くという感覚を、どう認知したかということです。同じ発声でも、個人によって認知の仕方は違います。同じ状態を頭のてっぺんと思う人も眉間と思う人もいます。それをトレーナーの指摘することばで覚えるからです。

そのように、多くは同じことばが使われながら、行われていることが全く違うケースは、少なくありません(認知の問題)。まれに、ことばが実体を伴わず、明らかに誤用されても、マンツーマンで指導が理想的になされている例もあります(二者間伝達におけることばの実体の意味のなさの問題)。

「オリジナルの発掘」

○才能と勘

 

何ごとも、才能がいります。誰でもなんらかの才能はあり、それを生かせる人生は輝きます。才能をものにするにも認めさせるのにも、それなりの努力も必要です。

しかし、それをとことん試すための試練も与えられずに、楽しくやっているうちに歳月が過ぎ、才能がなかったと本人が諦めていくケースは少なくありません。それをトレーナーが引導してはならないでしょう。

才能は、楽しいレッスンで輝くほど甘くはありません。それは必ずしも、歌の世界だけとは限りません。当人のために、あえて、レッスンを引き受けないという選択もあるべきです。

私は、自らの才能を音楽を聴き、判断し、声にみて導くことに見出せました。歌い手には私よりも才能があり、そういうことが大好きな人に委ねます。私の知人にはプロ歌手として、二番手に売れっ子だったのにやめ、プロデューサーとして大成した人もいます。

プロ歌手として成功するかどうかなどというのが目的なら、1000人のうち999人が挫折します。無理だったとか夢だった、運がなかった、向いてなかったということになります。そんなことでトレーニング期間が費やされているのは、もったいないと思います。その期間の充実が、そこに賭けたエネルギーが、あなたの人生で次に活きるようになっていくのです。もちろん、それはあなたのとりくみ次第です。

歌や声は、それでやれるとか、やれないとかいうものではありません。声は、人生で命を失う日まで使います。もし、ヴォイストレーニングをして、人生が好転しないなら、何の力がついたというのでしょう。私はそういう声の大きな力を、信じています。いくら声の知識、発声がうまくなっても何にもならないとしたら、ヴォイトレのせいでなく、ヴォイトレにとらわれ、使えていないのです。自分を知らずにはうまくいかないということです。

 

○話す声と歌う声の違い

 

話す声と歌う声が違うのかという問いは、何で分けるかという基準と定義で変わるだけのことです。歌は音域やリズムを生かすように、話す域よりは高めにとります。

発声は、声がきれいに響けばよいと考えます。すると、歌っていて何を言っているかわからない、歌(響き)に流されてしまうことになるのです。これが合唱団、音楽スクールで発声トレーニングをした人、トレーナーなどに多いのは皮肉なことです。発声トレーニングを習ってきた人ほど、歌い方にトレーニング臭さが出ます。

私は、トレーニングの立場からは、話と歌の声を同じに考えています。自分の声は同じように使っているつもりです。美しい声や共鳴より、パワフルでタフな声をトレーニングの成果とするのは、素質より、鍛錬の力にトレーニングが負うからです。

 

○体格や外国人とのギャップ

 

演劇の日本語は、欧米からみて音楽的なものではないために、日本語とまったく違う発声をしなくてはいけないと考えている人もいます。これは、おかしなことです。

歌での外国人との違いの何よりも大きな原因は、日本人の今の音楽が、欧米の言語にベースをおいたものだからです。外国人は、話しているときの声とリズムのまま歌に入っていけるのです。

レーニングとしては、日本語と違っても、もっとも有利な発声をして、あとは何でもできて、使うときに自由に選べばよい、そうなれば、おのずと応用力のあるものが選ばれてくると思っています。その有利な発声を深いポジションでの外国語(特にイタリア語)に求めるところは、声楽と同じ考え方です。

 

最近は、体格、骨格や背の高さなども外国人と変わらないようになりました。きちんとした発声を身につけることができれば、同じように声が出せるはずです。ただ、声を引き出すのは、必要性ですから、文化、環境の問題の方が大きいのです。邦楽では、80歳でも朗々とした声を出す人もいます。

 

○自分の「オリジナルの声」とは

 

プロの鍛えられた声というのは、すぐにわかるでしょう。かつて、声は歌唱や演技の重要な要素として、喉を鍛えたのです。その結果、プロの声となったのです。

声帯や体というのは、誰一人同じ人はいません。それぞれにめざす声も、声の使い方も上達のプロセスも異なるといえます。そこでは、一つのトレーニング方法が万能というわけにはいかないのです。その人によって、時期によって、目的によって、優先順位によって、すべて変わるのです。

しかし、多くの先達の方法や、私自身の経験、100100様に対して、対処してきた中から、ある程度、共通したものはあります。

「オリジナルの声」というのは、ヴォイストレーニングに関して、私が使っている意味でいうのなら、その人の体(声)の原理から導き出されたものです。楽器なら、もっとも共鳴する音、何も邪魔しないで共鳴する音、そういうところが働いて鳴っている音をオリジナルといっています。

自分で考えて勝手に作ったような声ではありません。演奏効果として歪(ひず)ませたような独自の音、色、タッチであったとしても、ここでは除外します。自然な声というと、そのままの素の声と思われるので、造語しました。 

他に「ベターな声」(今のもっともよい状態の声)、「ベストの声」(将来の鍛えられたプロの声)とも言っています。もちろん、一般的にオリジナリティというのは、音色や演奏方法も含めて言います。

「一人よがりにならないために」

○うまいのに伝わらない

 

私は、うまいのに何となく腑に落ちない、伝わらない歌をたくさん聞いてきました。多くは本人も知らないまま、真似が抜けていないからでした。もちろん、真似ていなくても(CDなど聞いたことがなくても)そっくりになってしまうこともあります。音楽をすぐれたレベルで奏でると、共通するところがあるからです。

 

しかし、誰にも地に足がついている、まわりがどうであろうと、時代や世の中が何であろうと、それを超えて輝くオリジナリティは潜在的にあるのです。それが、自分(声、体、性格、ルーツ、信条、生き方)を核にした、こだわり、深く練られた作品となっていくようにしているかどうかなのです。もちろん、同時代で誰一人認めないものとなると、絵画などではともかく、歌では成り立たないでしょう。

 

○感動するための3つの要素

 

私は、才能とは「入っているもの以上によいものが出てくること」と思っています。よいものとは、「新しいもの」「おもしろいもの」「変なもの」、そして「すごいもの」です。音楽の中でことばが使え、人間の声で表現する歌は、絶対的に強いのです。しかし、ことばと声の二つが、日本の中で「ミュージシャンとしてのヴォーカリストの実力」を曖昧にしてしまった要因のように思います。(そんなことでみる必要は日本ではないゆえ、日本では歌は厳しくない、ということになるのですが。)

 

○うまいのに感動しない理由から考える

 

「新鮮で、おもしろく」となるためには、その人個人の魅力や持ち味があること、さらに、「すごいもの」となるには、高い音楽性が必要です。歌い手が伝えるのは、声や歌でなく、それにのっている思いであり、音楽として作品に値するイメージや感覚です。

 

○自分の歌う声の適性と好きな声が違うとき

 

ヴォイストレーニングは、自分のベストの声を出すための探究と鍛錬です。嫌な声は発声の理や使い方からそれていたり、磨かれていないことが原因です。それをトレーニングしていく。それでも好みに合わなければ、私はやはり持って生まれたものを最大限生かす、つまり、オリジナリティを選びたいものです。

しかし、日本人はやはり横並び、自分にないもの、あこがれた人のものを求める場合が多いようです。これも最終的には、本人が決めていくことですが、ただ、よい声が出せるというだけの人なら、けっこういるのです。

 

○間違えないトレーニングをするには

 

人生、二度と同時期を試せません。よく、「ずっと間違ったトレーニングをしたが、やり方を変えたらうまくいった」という人がいます。私にも、そう感謝してくれる人もいます。しかし私自身、誰よりもいろんなことを試し、続けてきてわかったことは、誰もが同じ条件で、同じ方法をやっているはずがない以上、質のかけあわせと、あとは目的のヴィジョンとイメージ力と意志の強さだと思うにいたりました。

私自身は、よい方法でやったからこうなれたのではない。また、私の発見した方法がよかったから、すべての人がこうなれたるのではない。こうなるのがよいとも限りません。

トレーナーには、自分一人の効果をもって、論じる人が多くて困りますが、いろんなことを声で試し、しかも長く生きてきた心身は、すでに初心者のもつ条件と違うのです。何ごとにも、こうはいえます。私ほどにやったら、どんな方法であれ、私以上にはなれる。そこまでするかの勝負なのです。

自分がやった方法がもっとも効果があったと思い込むから、トレーナーをしたがる人もいるのです。それは、もっともよさそうに思えて、困ったことです。

安易に自分のレベルを目標のようにして、楽に効率より早く間違えないでそこまで効果があがるようにうたうのも、生活のため、背に腹は変えられなくなっていく。でも、「方法を教える」のは、すでに違うのです。

 

○ギャップを明確にする

 

私がベテランのヴォーカリストとレッスンするときは、ギャップを明確にするそのために、わざとテンポダウンやフレーズを伸ばしたり、大きくしてもらったりします。すると、本人の限界がみえてくるので、そこを強化し器を大きくします。

たとえば、フレーズ間を0.5秒で歌わなくてはいけないところを、プロなら口先でたやすくカバーしてこなします。私は、その人の呼吸の流れとしてもたせられるまで、2秒かかるなら、ずっとそこでやります。やがて1.5秒、1.0秒と感覚と体が伴ってきて、0.5秒にまでなるのを待ちます。

レーニングにおいては、何よりもそのプロセスを大切にします。そこで、どれだけ手間をかけ厳しくやるのかが、結果に表れてくるのです。表現として成り立っていることが、曲よりも優先すべきだと思うからです。そこにイメージと体(息)が足りないため、声のコントロールが欠如しているという事実がつきつけていたらよいのです。これこそが、よりすぐれている人との差であり、間違いということではないのです。むしろ、バランスがとれていてうまいと評されるから、分かりにくいのです。

 

○トレーニングで声は変わる

 

レーニングをすれば声も歌もよくなることを私自身、結果として、出してきました。しかし、それを世の中の人が必ずしも求めているのではありません。

あなたの声も歌も身内以外、誰も求めていない。人々は、自分にもっともパワーを与えてくれる人の声を求めています。

声や歌がよくても、何らそれを使えなかった人もいます。才能でしかやれない世界を甘くみて、長くやったことで満足する、まわりにほめられ、すぐに慢心するからです。やったら、やっていない人よりやれるのは当然です。

一方で、声が無く、歌がうまくなくても、多くの場で仕事をもらい活動している人もいます。仕事がきてプロといいます。力がつくとか、やれるとかいっても、誰もが声が出せ、歌も歌える世の中です。現実に客がいるか、ヒット曲があるかで問われます。

トレーナーがやることは、うまくなることでなく(そのくらい自分でやりましょう)、声をプロにすることだと思っています。そうでないと、ますますトレーニングの目的があいまいになります。それが歌や芝居でなくても、もちろんかまいません。

立川談志師匠が「仕事がくるのが偉い」、「CDも何でもあるんだから、師匠は教えることはない」と言っていました。彼の弟子がもっとも多く第一線で活躍しています。

「似ていることのデメリット」

○イメージと構成力

 

 曲を受けとめ膨らますのは想像力、自分の思いを声として展開するのは創造力、その2つの不足を補うことです。音のつなぎ方一つから、いろいろとアレンジして表現する練習をしましょう。

 似ていくなら、あなたの存在価値、歌の作品価値がありません。どれだけ、他の人と違っていくかという勝負なのです。

 

 コピーから入ると、多くは元のヴォーカリストの歌い方がしっくりくる気がします。しかし、それではあなたが歌う必要などなくなります。あなたが歌うのは、もの真似をするためではないはずです。他の人は皆、あなたの個性、あなたらしい歌、あなたにしか歌えない歌を聞きたいのです。

コピーを聴かせるのではもったいないです。

自分の土俵で勝負しないと、最初は受けがよくとも、いずれやれなくなります。

大変でも、今から自分の土俵をつくるようにしてください。

 

〇まねにならないチェック法

 

 楽譜通りに伴奏テープをつくり、オリジナルを聴く前に自分で歌いこなしてみるような練習も効果的だと思います。似てはいけないが、結果として似ているのはかまわないのです。一つの歌を、解釈をして表現する方向は、あなたがすぐれていくにつれて、プロがイメージするものと似てしまいます。

 

 自分の好きな人のように歌うと、自分に心地よい。でもそれではファンです。

トレーナーもそういう判断をする人が少なくないので、やっかいです。

それが、業界受けするからやむをえないともいえますが。

それをさけるには、同じ歌を多くの人が歌うのを聞いて、個性があるとは、似ていないとはどういうことなのかを、知る方がよいでしょう。トレーナーが真似のできる歌い方に仕上がっていないかというのも、よい判断の方法です。

 

○“まね”のタイプⅠ

 

 巷によくみかける歌い手のタイプをあげておきますので参考にしてください。

歌には、自分の表現を自分の呼吸で声としてとり出すことが基本です。

作品は、リアリティ(立体感、生命力)に、あふれているかどうかでしょう。

しかし、次のような場合でも、状況さえ伴えば、大化けすることもあります。

歌というものは、おもしろいですね。日本人(客)の好みも反映されます。

 

唱歌、コーラス・ハモネプ風・・・感じられない、得意ソウ、“うざい”

 唱歌風の歌い方は、発声トレーニングを受けてきた人に多くみられます。

共鳴に頼りすぎて、ヴォリューム感やメリハリがない。一本調子、正確さだけが取り柄で、おもしろみがない。つまり、誰が歌っても同じ、その人の個性や思いが出てこないのです。

 

 合唱団、音大生、プロダクションの歌手、トレーナーなど、正規の教育を受けてきた人にもよくみられます。音楽を表現するのに必要なパワー、インパクト、リズム・グルーヴ感がないのです。生まれつきの声のよさだけに頼ってきた人にも多いです。先生の言うままにつくられた“日本では、歌がうまいといわれる”優等生タイプです。

 

◇アイドル型・タレント型・・・やっていることがわからない、カワイイ、“ガキっぽい”

 しゃべり声で、甘えた感じで歌う。喉声にならないように浮かし、やや発音不明瞭で鼻についた声です。タレント型ヴォーカルに多くみられます。

他の人がやると、くせのまねにしかなりません。カラオケでは目標とされています。

 とはいえ、高度なレベルでは、ニューミュージックやJ-POP、演歌の歌い手など、声が高く生まれついただけで、作詞・作曲・アレンジ力で通用しているヴォーカリストにも多いようです。他のタイプの人には、真似て百害あって

一利なしです。

 

◇役者型、喉シャウト型、語り調・・・のれない、くさい、“くどい”

 ことばを強く出し、せりふとして感情移入でもたせます。個性やパフォーマンス、演技からくる表現力でもたせているため、呼吸がことばに重きをおく反面、音楽性、グルーヴ感に欠けます。存在感とインパクトの強さで、個性的なステージになります。シャウトもどきの声でやる人は、調子をくずしやすく、選曲のよしあしで良くも悪くもなります。

もう一つは、語り調で、雰囲気づくりにたけ、ぼそぼそと歌うタイプです。

テンポ感、リズム、ピッチに、甘いです。

 

〇まねのタイプⅡ

 

◇日本のシャンソン風、ジャズ風・・・格好ヨサソウ、インパクトがない、“たいくつ”

 上品さや気品を上っつらだけをまねた、自己陶酔っぽい歌い方です。

中途半端に声楽家離れしない人や役者出身者に多いのが特長です。

それで通じた昭和の時代は、古く遠くなりつつあるように思います。

 鋭い音楽性、深くパワフルな声のない語りものの日本のジャズもまた、雰囲気好きの日本人に期待された結果の産物だったのでしょう。

センスとパワーの一致を望みたいものです。

 

◇日本のオペラ、カンツォーネ風・・・押し付けがましい、自慢げ、声だけ“うるさい”

 声の美しさ、響きに頼った歌い方で、個性や表現の意志に欠けます。

声量だけは感じさせるのですが、一流の声楽家や本物の歌い手と比べられて聞かれるので、マイナス面をみられがちです。発声や技術が前に出てしまい、人間性が感じられない。不自然な表情や動きになります。

 

◇日本のブラック、ゴスペル、ラップ風・・・なんか変、みせかけ、ちぐはぐ“ウソッポイ”

 洋ものを真似て、声をハスキーにしたり、やわらかく使う表面的な歌い方に終始しています。日本人特有の雰囲気、甘さ、コミュニケーション先行で、厳しさやしまりがないため、おもしろさに欠けた退屈なものになりがちです。

精神性が感じられず、洗脳されたような薄気味悪さがあります。ビジュアル、笑顔、一体感、振りなどの演出に逃げ、個としてのパワー、インパクトに欠けます。

しかし、不思議に日本人はそういう歌い方を評価するようです。

 

 こういった多くの歌い方は、世界で受け入れられたアーティストの個性や雰囲気を、表面的に真似て、インスタント加工したものです。体、呼吸、心、音といった根本での声、歌、音楽の生まれる条件を、踏んでいないのです。

ピカソシャガールの絵を真似て、上手といっているようなものです。

それで通用してしまう日本の状況が、私は有望なヴォーカリストにまで才能を甘んじさせているように思います。トレーニングとして、自分の声や歌を知る材料として出してみました。

 

○オリジナリティの価値

 

 歌のオリジナリティは、あなたの持ち味を生かせるかどうかなのです。

はじめてやったからとか、他人と違うことをやるのがオリジナリティというのではありません。人と同じことをやりながら、そこに埋もれず、その人らしさが光る、というのが、本当のオリジナリティというものでしょう。何を歌っても、曲や歌の中にあなたが埋もれてしまわないこと。それだけのものをあなたはみて、自分の声や声の使い方を磨いてきましたか。

 

 あなたは自分の最高のセッティングが、選曲、テンポ、キィでわかりますか?

 あなたと曲とが本当に一体になって迫ってくる、存在感とパワーが感じられるステージに、人は心を打たれるのです。このパワーの源がオリジナリティなのです。

 世界にはたくさんのよい曲があります。それをオリジナルに歌う練習が、力をつけると思います。テンポもキィも変える。スタンダード曲をオリジナルに歌唱するところから入る、オリジナルに編曲、作詞し、リカバーするのは、もっともよい練習です。

 

 とにかく「誰かのようだ」「聞いたことがある」「古い」と思われるものは、求められるオリジナリティとは違うのです。とはいえ、それぞれのスタイルでプロとして通用している皆さんは、それぞれによいのです。私でなく、ファンが決めるのですから、好き好きで、成り立っているものには、理由があるのです。

ヴォイストレーニングは、自分の声の使い方のノウハウと思われていますが、私はオリジナリティ(自分のデッサン、線=フレージング、色=音色)を見つける手段だと思っています。