「学びの材料」

○どうしたいのかを決める

 

 「みんなは」「まわりは」「トレーナーは」ということに関して、大半のことは、受け入れておくだけでよいのです。それよりも、「私はー」が肝心です。それを導き出さなくてはなりません。アプローチとして、他の人や他の作品から好ましいものを選んでみましょう。次に、自らの心の中に深く入っているものをとり出すことが好ましいでしょう。

 「私はー」は、自分のものを取り出して、披露して、表現をする、その結果を問い、その責任を自分が負うということなのです。

 

○トレーナーの答え

 

 トレーナーに、「どうすればよいですか」と聞くのはよいでしょう。でもその答えは、一つの意見としてとどめておきましょう。日本人は、自分の思うことの言語化に慣れていません。トレーナーもあまりことばで適確に言えないことが多いのです。自分の活動に実績のある人ほどイメージで受けとめ、実現できたからです。それが、トレーナーとして向いていることに反することもあるのです。

 

言語化とマニュアル

 

 トレーニングにおいては、プログラムの可視化と言語化はけっこう大切なことです。私はマニュアル不要で、感覚だけと言っています。それは確かですが、そのためにマニュアルがいるのです。ことばを使わないために、ことばがいる、ことばに振り回されないために、ことばがいるのです。マニュアルも同じ、それを捨てるためにいるのです。頭を使って考えることも同じ、考えないために考えるのです。

 

○受容力

 

 自分の判断は大切ですが、トレーニングでは、まずはアドバイスを受け入れることです。そして実行することです。自らが考えるのは、後にしないと、一人よがりになって、伸びなくなります。あらゆるものは、学びの材料です。何でも人が興味を持つものは、見たりやったりしてみましょう。好奇心こそ、向上心の元です。

 

○私の学び方

 

 私はヴォイトレを第一線で行なってきました。そこでは業界内のマニュアルよりも、他の業界のマニュアルを学んで得たことの方が大きかったです。音声は、日本は世界にまだまだ誇れませんが、他の分野においては、日本には世界の第一線級、巨匠や神様といわれるような人もたくさんいます。

 安易に外国人に学ぶというのはよくはありません。

 

○トレーナーのアドバイス

 

 トレーナーにつくのが、よいというのでなく、そこから最大限、吸収して、役立ててください。トレーナーを変えるのも他のトレーナーに学びにいくのも悪いことではありません。自らの軸があれば、そこでの遠慮は不要です。

 あなたのためを思うトレーナーなら、あなたの将来のためになる行動を評価するでしょう。現実には、トレーナーにはやめさせたがらない人もいるし、本人の判断を教育熱から引き止める人もいるでしょう。それも一つのアドバイスです。

 

「戦略をくむ」

○繰り返しとくみたて

 

 繰り返し戦うための武器は、いろいろとあります。しかし、それらを全てつけて武装したら、負けるでしょう。

 まずは、自由自在に使える一つの武器を、きちんと習得することです。自分には、どんな武器があるのか、どんな武器が向いているのか、これを探るためにいろんな武器を手にとるのはよいのです。しかし、全てを身につけようとして、中途半端になるのはよくないです。

 即興的に、応用していることで気をつけなくてはいけないのは、自らを客観視することです。反省して、どうすればよかったのかを考えることです。それをアテンダンスシート(研究所の「レッスン後の提出レポート」)に書いて出します。目的はこちらにあるのです。

 準備、本番、反省と、3つの勝負があると思います。レッスンでも同じです。

 自分のやろうと思ったこと(イメージ)と、やったことを比べること、そのイメージ自体の上をイメージしていくこと。この繰り返しによって少しずつ、自らを向上させていけるのです。

 

○トレーナーに就くということ

 

 トレーナーが言ったからでなく、自分がどう感じたかがあり、そこからトレーナーのいったことを考えたり、感じていくのです。トレーナーのいったことが今できないのなら、今、やろうとしないでよいのです。それができていく方向へセッティングしていくということです。

 自分で決めつけると、大体は今の自分のあいまい、いい加減な感覚と使い方に甘んずることとなります。

 だから、人に就くのです。集中力、体力、テンションなどをその場で高めることで、一瞬でも深く感じられるように、感じ方を変えられるようにするのです。

 習っていなくてもうまい人は、大して鍛えなくとも、このあたりのレベルまではこなせているのです。その先へいくには、より厳しく、自由にしていくトレーニングがいるのです。

 

○「うまい」の先にいく

 

 しぜんにうまい人の弱点は、他人に合わせるのが器用で、そこで認められ、自分のものに戻らず、素通りしてしまうことです。こういう人は、アーティストの感覚をもち、いかに自らが鈍いかを自覚しない限り、そこからの飛躍は絶望的です。歌のうまい人も大体、ここまででとどまります。教えるのがうまいといわれるトレーナーは、ものまねが器用で、レパートリー多数でとどまります。

 トレーナーやまわりの人の意見をすべて聞いてしまう人は、その克服が課題です。本人が自覚した上で、まさに自分自身で、接点を強くつけていきましょう。そうしないと、その人らしさは表われません。

 そこにいるだけよいという人は、社会ではよい人かもしれませんが、いろんな制限のある舞台では、いらないのです。その人の性格だけでなく、日頃の生き方からも、出てくるのです。

「求めるもの」

○正解を求めない

 

 トレーナーも、先生も、あまりにも一つの正解に合わせて、他人をみてしまっていませんか。そこでうまくいく人は、そこからスタートもよいでしょう。先天的に器用ですぐにこなせてしまう人は、そういうトレーナーにつくのも一つの方法です。

 しかし、そうでない多くの人は、そういうトレーナーの元へいくと、伸びないどころかもっと悪くなることも多いのです。そして、自分はなぜできないのだろうとばかり思い、悩みます。

トレーナーも自分のレベルが高いと、「なぜいつまでもできないのか」と、わからないのです。自分の指導のせいだとは考えられないのです。

 もっともよい解決策は、他のトレーナーをつけて比べることです。そういうことができるトレーナーを私は、私以外には知りません。

 

〇優先と重要度[E:#x2606]

 

応用することで、完璧にできたことにはならないです。このことがわかっていたら、自らの弱点に気づきます。しかし、それはすぐ解決しないことです。長所、強みが出るまで放っておいてもかまいません。

 なのに、多くのヴォイトレは弱点の克服だけに専念させてしまうのです。

 本人もトレーナーも、それが問題だと思っているからです。わかりやすい問題には違いありませんが、トレーニングでは重要な問題、最優先すべき問題ではありません。

 その先をみていないからです。アートということで考えるなら、トレーナーにつくことで目先の目的に専念して、もっとも大きな可能性を自ら奪ってしまうことだと気づかないのです。

 しかし、そういう判断も本人の実力の一つです。間に合わせで、先にいってしまう人が、多いことに私は驚くのです。トレーナーも含めてのことです。

 

○トレーナーに求めるべきこと

 

 ギャップを正しく知るためにはどうすればよいでしょうか。自らの力が、可能性をもって伸びるために、何を材料にすればよいでしょうか。その選択こそがトレーナーに求められるのです。つまり、ステージや作品から、本質的なものを学ぶ力をつけられるように学ぶことが、基本の力をつけるには、大切なことなのです。

 発声のテクニックや歌唱技法などは、一流の作品から、本人が啓発される力に比べたら、表面的なものに過ぎません。内的な変化は、外から与えるだけで、変わるものではありません。誰かの声、歌、せりふ、発言、マニュアルと、何であれ、ストックして、内側から身についてくるのを待つしかありません。そうして少しずつ、自分の軸が定まってくるのです。

 自分と似た声質のトレーナーやヴォーカリストは、それに近づけていくためにはわかりやすい見本です。早くうまくなっていくには、利用できますが、自分の軸はできていきません。他人の軸である限り、いつもあちこちでブレます。器用すぎる人と若いトレーナーに多い特徴です。

 声に対して、自らがどの地点にいるのかは、わかるものではありません。それを学ぶためには、声楽などを一時、使うのです。それがわかりやすい方法だからです

「本当に大切な問題」

○足らないものより、優れたものに目を向ける

 

 足らないものを補うためにトレーニングをするのは、悪いことではありません。しかし、声、せりふ、歌に関しては、それは補強にすぎません。本当の目的は、自らのオリジナルな可能性の方を伸ばすことです。

・高い声が出ない

・音程が悪いといわれた

・声量がない

 これらは具体的な問題ですが、メインの目的ではありません。メインとする力を伸ばす中で、解決できてくればよいという副次的な目的です。すぐに解決できなくとも、大して問題ではないのです。

 ですから、一時、横において、まずは、しっかりと一つの声が出せるようにトレーニングしましょう。

 本番で力を発揮するには、集中力が足らない、コントロールがいい加減などという方が、もっと大きな問題です。表現力から考えていくのと、そうなります。

 

○真の目的をセッティングする

 

 プロをみてください。そういう方向を目指すなら、彼らは、何の力で成り立っているかをみることです。発声ですか、声域、声量ですか。そうでない人も多いですね。でも、その人でなければもっていない何かがありますね。自分でなければない魅力をつけるのに、他人と同じようになっていこうとするのはおかしなことでしょう。

 自分の可能性を伸ばして、最大の力が出るようにしていくトレーニング、そこからオリジナリティの魅力で、人をひきつけられるようになることこそが真の目的でしょう。これは副次的な目的とは、深さの度合いが違います。

 応用してこそ、基本の足りなさがわかります。そのギャップを埋めるために学ぶのです。ギャップは、副次的な目的と違うところにあることが大半です。副次的とは他人と比べてのこと、メインは、自分自身のことです。どういう問題に関しても、より優れた人に比べたら、劣ってみえるのはあたりまえです。そこでふんばるのです。

 

○しぜん、未熟を維持する

 

 あなたは、世界一、声域のある人、声量のある人、音程のよい人になりたいわけではないでしょう。自分自身のもって生まれたもの、育ちで得られたもの、思考や性格もふまえて、オリジナリティを確立させていきたくはありませんか。高いレベルでは、他人はそれしかあなたに求めません。

 そのためには、しぜんに応用してみることから入るのが一番です。それは、今のあなたそのものですから、未熟なものかもしれません。しかし、あなたが誰かのものまねをするより、まだ評価できないレベルなのです。だからこそ、学んでいけるのです。

 未知の本質的な目的に対して、学んでいくスタンスをとっている人は、あまりに少ないのです。トレーナーも同じで、プロや自分に似させようとする人が大半です。気をつけなくてはならないことです。

 

「頭を切る」

○即興を旨とする

 

 自分の思い込みや計算が、自分の声の使い方や真実をゆがめてしまうことは少なくありません。経験、知識、勉強は大切ですが、それを一時、切ること、新たなものへ価値を見いだすことがもっとも大切です。

常に、次の可能性への瞬間に身をゆだねるのです。

・信じて受け入れ、変えていくための行動をする

・集中して壁にあたるまで続ける

 歌は歌っている中で、声は出している中で、伸ばしていくものです。だからこそ雑念を切り、日常的にいつも、さっと入れるように準備していなくてはならないのです。

 

○トレーニングにおける形と型

 

 始めからマニュアルがあるとよくありません。形に頼ってしまうからです。頭にあることでレッスンの邪魔をしてしまうからです。レッスンに入ったら、考えを切り、集中しましょう。

 形とフォームは、違います。形から入ってフォーム(型)ができてきます。しかし、形もフォームも変じてよいのです。いい状態を感じることで自分自身を知っていきましょう。

 自転車に乗るのに、ペダルやチェーンのしくみを考えても仕方ないでしょう。ギアの使い方を覚えるよりも乗れるようになることです。

 発声を自転車に乗ることに例える人もいます。練習してコツを覚えたら乗れる、一度覚えたら、あとは無意識にできるようになると。しかし、それで例えるなら、私は競輪選手のようなトレーニングの必要性を考えています。体も一目で違えるほどに変わってこそ、プロの声になるのです。