「判断を保留する」

 

○やりやすく合っている方法がよいのか

 

 

 

 今、やりやすいやり方が必ずしも長期的にみてよいとはいえません。そこを優先すると、すぐに効果がでるやり方だけになりかねないからです。すぐに効果をだすのは、本人のモチベートをあげ、トレーナーや研究所を信頼してもらうにはよいのですが、トレーニングの本質的な目標とは一致しないことが多いのです。

 

 すぐ実感できて、やりやすい方法を否定しているのではありません。それが最初のステップとなるなら望ましいことです。初心者ならそれがよいとも思います。

 

 ただ、そうでない方法や自分と合いにくいと思うやり方をとるトレーナーの能力を否定するのは、浅はかなことです。今まで自分の感覚だけでやってみたり、別のトレーナーについて学んできたというのなら、なおさらです。何らかの目的、あるいは問題解決のために、ここにいらしたのであれば、一度自分の判断を保留しては難しいからこそ、すべて活かす方へ努めてほしいのです。それでも自分の判断は働きます。だから、急がないで欲しいのです。

 

 すると、どのトレーナーの方法が正しいとか間違っているとかいうことでなく、すべては自分への気づきのヒントとして、あることがわかります。

 

 

 

○客観視の徹底のために

 

 

 

 私はホームページやブログや会報に、トレーナーの名や生徒の名を入れません。表現の世界ではID(その人であること)が大切ですが、研究所というのは自分研究の場です。

 

 一人のトレーナーのいくつもの方法も一人の生徒の学び方も、年月やその人の名や属性でくくらずに、すべて均質に並べておくことにしています。できるだけ、ご自分に役立つ材料にして欲しいからです。何ら価値観(独断偏見になってしまいがち)を入れないで、そのままにみて欲しいのです。歌も、歌手名や曲名、歌詞も、余計な知識=先入観なしに、好き嫌いを抜いて聞いてほしいといっているのも同じことです。

 

 

 

〇ノウハウより基準と材料

 

 

 

 私が、「ノウハウ(やり方)とメニュ」というニュアンスを、どちらかというと否定して、「基準と材料」という言葉を使ってきたのは、ノウハウ、メニュ集めになるのをやめさせたいからです。研究者やトレーナーの立場なら、確立したノウハウやメニュも必要でしょう。

 

 トレーナーには、自分自身の勉強で、他に教わったり本で読んだメニュを自分に試してよかったから、初心者に使う人もいます。それは、けっこう乱暴なことでしょう。

 

“熱心な”トレーナーですが、トレーナーと初心者とは違うのです。

 

 一つの声さえまともに出せない人にビブラートのつけ方やミックスヴォイス、ファルセットなど、○○ヴォイスなど何種類もの発声をやらせてどうなるのでしょう。

 

 少なくとも私のところには、そういうトレーナーはいません。

 

 すべての材料を自ら、主体的に判断するのでなく、判断の基準がアップするように使ってください。すべてを使う必要はありません。たった一つでも使えるものを最大に深めて使えるようになっていくことが基本です。私自身は、歌唱や声楽は、声を高度に応用されたものと位置付けています。

 

 

「成果の実証」

 

○方法論に陥らない

 

 

 

 トレーナーのレッスンやレクチャー、本などからの影響は、間接的なものとして、参考にするのはよいのですが、必要以上に大きな影響を受けている人がいます。熱心であればあるほど抜けられなくなるものです。

 

 誰でも自分が尽力したもののおかげで成果を得たと思いたいものです。それが下積みになっていても、すぐに成果を認められなかったものについては(そのトレーナーやその方法か)間違いと思いたいものです。

 

 結論からいうと、どちらも本人の実感と思い込みだけで、何ら客観的な実証はされていないのです。トレーナーには、大した経験も経ず自分の方法を絶対視している人が多くて危なっかしいといえなくもありません。

 

 

 

〇変幻自在のマニュアル

 

 

 

 研究所には、私と研究所のトレーナーのマニュアルがライブラリーとして、また、本やブログなどでの記録があります。

 

 ここでも二人以上のトレーナーにつくのでマニュアルや、方法論としては混在するわけです。初心者にとっては、わかりづらい状況です。

 

 「正しいのはどれかを教えてくれ」といわれることもあります。そこを、ことばで問わずにねばって欲しいのです。

 

 一つの方法でもいくつの方法でも同じです。誰かの方法というよりも、あなたのことを重視すれば、やり方はおのずと多様になってくるからです。一人ひとり違うのです。

 

 ここのレッスンのメニュや進行は、相手によってすべて違います。相手やその状態、状況が変わると、やり方も変わります。全てが正しいのでなく、今までの経験上もっともよかれとトレーナーが思い込んでやっていることです。必ずもっとよい方法もあり、もっとふさわしいトレーナーもいると、考えています。だからいつも私は組織的運営をしつつ判断しているのです。最終的には日本人の口伝を欧米人のようにプログラム化することを目指しています。

 

 

 

○トレーナーの個々の才能を生かす

 

 

 

 トレーナー二人の方法が違った場合(ほとんどは違いますが)、私が間に入って、トレーナーにどちらかの方法に合わせてくれとはいいません。私は、トレーナー一人だけに任せられるというレベルで、トレーナーを選別していますから、本人の強い要望がない場合を除いて、行いません。トレーナーのこれまでの経験や手腕を否定して得られるものはないからです。

 

 私のいうように教えてくださいともいいません。それもトレーナーを否定することになります。私自身も自分の本の通り教えたことはありません。本とレッスンとは違うのです。

 

 二人のトレーナーの方向や判断が逆にみえるときは、そこにどう表われていくのかをみます。

 

 トレーナーとミーティングをして調整すると、多くは優先順位の違いです。ときに、目的についての解釈が異なることもあります。

 

 本人の欠点はわかりやすいのですが、すぐには直しません。その人の長所についても、すぐに決めつけないようにはしています。

 

 大体はどちらかのトレーナーの方法がやりやすいと本人は思うものです。それも比べてはじめてわかることがたくさんあるのです。こうして気づきが多くなることが一番大切なことなのです。

 

 

 

 

「プロになるのが目的なら」

○プロを定義する

 

 

 

 プロになるには、自分のめざすプロというのを定義しなくてはいけません。歌い手、ヴォーカルというのは、もはやエッセイストと同じくらい、誰もが使える肩書きです。リズムネタや歌を使うお笑い芸人の歌唱力も、場合によっては、今のプロ歌手を超えているでしょう。彼らが提供しているスタイルこそ、オリジナリティです。でもヴォーカリストとはいわれません。芸人、タレントですが。アーティストとは、独自のスタイルをつくる人のことですから、それに含まれると思うのです。

 

 CDを出して売っているのはプロのヴォーカル、売れたらプロというなら、マツケンサンバ松平健さんも、プロヴォーカルです。声優も役者もタレントは言わずもがな、スポーツ選手やアナウンサーでもCDは出しています。

 

 あなたにとってのプロって何かということからスタートしましょう。

 

 

 

〇プロのための、と、プロになるため、の違い

 

 

 

1.プロはプロに認められなくてはいけない

 

2.アマチュアのなかでやれることと、プロとは問われるものが違う

 

3.プロになっても続く人は、ほんの少ししかない、続いてこそプロ。

 

 まずは、このことを知ってください。

 

 アマチュアとして楽しく上達するのとの違い

 

1.プロの作品は、結果としてお客が満足するものである

 

2.プロのステージは、結果としてお客がすっきりするものである

 

3.プロは、お客の期待以上のものを出すものである

 

これらの力を養うためにトレーニングがあるのです。

 

 

 

○デモテープづくり

 

 

 

 デモテープにお金をかけることなど、考えなくてかまいません。何十万円以上かけても、プロデューサーは評価しません。その心意気くらい見てもらえるかもしれませんが、プロデューサーは、作品の完成度でなく、可能性でみるのです。

 

 早々にまとめよう、完成させようとしているのは、方向違いです。

 

 私がもらうものには、高度に加工してまったく声の判断がつかないものも少なくありません。

 

 それは、プロのスタッフの力です。バンドならともかくソロなら不要です。かえってあなたの魅力や個性が出てこなくなります。あなたの声のアピール力と声が何を伝えるかを問うてください。

 

 

 

○プロになるのに必要なことは

 

 

 

 メジャーデビューを目指すなら、有能なプロデューサー次第でしょう。自分のスタイル、バンドなのかソロなのかでも違います。「デビューしたらプロ」と考えるのもどうでしょうか。

 

 それで食べているというのと、食べていけたらというのもかなり違います。今やヴォーカルは、職としては成り立たなくなりつつあるのです。

 

 すぐれたプロデューサーが、人をみるときは、ヴォイストレーニングの成果など折り込み済です。1、2年、ヴォイストレーニングをやって、そこで奇跡が起こることはありえません。

 

 主に行われているのは、ピッチが安定しないことへの、ピッチトレーニングと無理な高音トレーニングです。急に腹式呼吸などやっても、かえって歌がくずれるだけです。歌とトレーニングの関係をきちんとふまえないからです。

 

 

 

○ヴォイトレが必要なとき

 

 

 

 俳優、声優、アナウンサーなどになるには、養成所、事務所があります。ヴォーカルもありますが、今は歌手ではつぶしがきかないため、タレント、役者に転向させられた人も少なくありません。役者はエキストラや誰もが替われるちょい役でなら、どんな舞台でも出られる可能性が高いのですが、ヴォーカルには脇役はありません。

 

 プロというなら、所属するか、自分でプロデュースするかです。

 

 ストリートでライブやって、CD一枚千円、これを10枚売って日給1万円、といえ、プロでも手取り月収30万円は、簡単にとれないのです。

 

 ヴォーカルにはプロデューサー、俳優には演出家、映画監督、ドラマ、CMのプロデューサーなどとの仕事が生じます。多くの人は、そういう人に認められるために、ヴォイストレーニングにきます。本当は認められた人こそ、ヴォイストレーニングを必要としているというのが、ここにいるととてもよくわかります。

 

 

 

○ヴォイトレによる効能

 

 

 

1.健康になる

 

心身が弱いなら、声を出すための体と呼吸づくりからです。

 

2.積極的になる

 

性格が弱いなら、テンションを最大に保てるようにすることです。

 

3.リラックスできる

 

緊張するなら、心身を解放できるようにすることです。

 

 

「プロとトレーナー」

 

○トレーナーは相性より使い方

 

 

 

 ヴォイストレーニングは、どこかで目的を決め、その後も絞り込んでいくことです。それによって、トレーナーをどう選ぶか、トレーナーに何を望むかも違ってきます。

 

 私がみるに、トレーナーとの相性よりは、方法とのミスマッチ、内容について目的にそっていないのが問題です。それでは、目的とする効果はのぞめません。トレーナーを変えるのでなく、トレーナーの使い方を変えるのです。

 

 たとえば、ヴォーカルの場合、

 

目的……プロになること

 

効果……声域・声量がつくこと、歌がうまくなる

 

 これをよく考えてください。果たして、この目的に対して、目指すべき効果がこれでよいのでしょうか。

 

はっきりいうと、この効果は目的にさほど必要なことではありません。これが初心者のうちは、わからないことです。

 

 あなたが初心者なら、歌も声もわからなくてもよいでしょう。しかし、声や歌はわからなくとも、自分の目的の設定を間違えてはいけません。そのためにトレーナーがいるのです。多くのケースでは、トレーナーが気付かずに間違わせてしまっているので、始末が悪いのです。

 

 

 

○トレーナーが勘違いしやすい理由

 

 

 

 トレーナーをやらせてみると、トレーナーとしては育ちます。それを歌の力がついたと勘違いする人もいます。その実績で歌手としても通用すると思うのです。

 

 トレーナーに歌を習いにくる人は、大体はそのトレーナーより歌が下手な人です。ですから、少しでも歌った経験のある人なら、先生として通じてしまうのです。

 

  日本では、1.長くやっている 2.海外でやった 3.偉い人についた 4知名度がある

 

そのくらいで、お客さんは、わからなくなるのです。肩書きで評価します。

 

1.学会への所属 2.他の権威の利用(特にアメリカとか海外の人や学校) 3.有名人の名の利用

 

 権威をたてに仕事を得ている人は、問題外です。

 

 英語がぺらぺらにしゃべれる外国人が、日本人にとってすぐれた教師とは限りません。一流のスポーツ選手が、高校生に教えるのにもっとも適任とは限りません。カウンセラーなら精神面などに高次のアドバイスはできるでしょう。歌を教える場合、ヴォーカルアドバイザーと名のる方がよいと思います。

 

 

 

○プロがつくトレーナーを選ぶ

 

 

 

 本当のトレーナーとしての力は、歌や伴奏や編曲の能力ではありません。その技量は、自分よりうまい人、すぐれた人、プロとして長年やってきた人に通用しなくてはおかしいのです。イチローや松井のトレーナーは、彼らに試合の打撃成績で勝ることはありません。しかし、彼らが頼る的確なアドバイスができます。

 

 アマチュア相手の経験しかないトレーナーは、お金をとっていても、プロのトレーナーとはいい難いのです。プロに頼りにされてこそ、専門職は成り立ちます。これは、ヴォーカリストでも同じです。

 

 

 

○トレーナーにつくということ

 

 

 

 ヴォーカルに譜面を読む力はいりません。人並みにできなければ、そこから入るのもよいでしょう。

 

 役者などと違い、10代で芽が出なければ、かなり遅いのです。そこまで生きていて他人よりうまくできないなら、よほどの奇跡を起こさなければ、ヴォーカルとして食べていくことは不可能と、知ることです。

 

 これは、これから、やろうとする人を絶望させるために述べているのではありません。他の分野なら絶望的なことを、学校へ行ったり、トレーナーについたくらいでプロになれるなど、甘くみるなということです。

 

 つまり、奇跡を起こすトレーニングを目指さなくてはいけないのです。

 

たとえば、

 

25オクターブ出る

 

・ハイトーンを出せる

 

これらのことは、歌の上達やプロへの道に関係ありません。よほど気をつけないと、欠点をフォロー(ごまかす)だけになりかねません。まして、それを第一に掲げるトレーナーはどうなのでしょう。

 

・誰でも一流に育てます。

 

・やさしく指導します。

 

・楽しみながら上達しましょう。

 

というようなセールストークも、本物志向の人なら度外視すべきでしょう。

 

 

 

 

「やり方における差異」

 

○トレーナーの方法への影響力

 

 

 

 トレーナーは、まず自分の体験上で得られたもので自分の方法論を確立します。ポップスの場合は、よくもあしくも自分の思い込みの感覚で、仮想して感覚を得ていくことが多くなります。とはいえ、必ず、誰かの影響を受けているので、その元となるアーティストの感覚が、大きな影響を及ぼします。

 

 このときに、誰を選んだかは、本当は大きな問題です。本人も気づかないうちに大きな影響が入っているので、本来は第三者にみてもらうしかないのです。

 

 次に、声は楽器と違って、自分の体(もって生まれた発声器官など)が大きな制限としてあります。アーティストをまねて始めるのは誰でも同じでしょう。そのなかには、まねやすい人もまねにくい人もいます。まねて基礎を学びやすい人も基礎を学びにくい人もいます。それが結果として大きなプラスに出るときも、マイナスとなるときもあります。そのアーティストが好き嫌いではなく、上達のプロセスとして合う人も合わない人もいます。合っている場合も、細かくみると必ずよしあしの両方があります。

 

 

 

○まねがくせにならないために

 

 

 

 即効性のあるようなまねが、後でうまく伸びる基礎になる人もいます。即効性のある方法については、それがために限界となることも少なくありません。これらはその人の目的やレベル、その後の変化や成長にもよります。から、純粋に捉えることはほとんど不可能です。

 

 稀にたった一人のアーティストだけ聞いてきたという人もいます。この場合、くせがのりうつっていて本人も気づかないことが多いものです。

 

 音大生のように最初からトレーナーに導きかれた人はよかれあしかれ、そのトレーナーの影響をストレートに受けます。すぐれた一流の作品を聞いていることでその限界を突破できるかが将来を決めます。

 

 

 

○ノウハウの伝達ミス

 

 

 

 トレーナーもアーティストと同じように、レッスンでの関係は多岐にわたります。

 

 アーティスト的な影響が歌や作品という応用されたものから無意識的にくるのに対して、トレーナーからの影響はストレートです。どのくらい信じているかもありますが、直接、直されるので影響は大きいでしょう。

 

 教わったことはトレーナーとして教える立場になったときには、独立したノウハウとして、よりダイレクトな影響を与えます。トレーナーにとって自分とは異なる相手を教えるときにも、自分が教えられたように教える、あるいは、自分の同僚や先輩、後輩が教えられたように教えることにおのずとなるわけです。ことばの使い方も孫引きのようになり、受け売りの方法で、トレーナーの意図とは別にトレーニングが行われてしまうこともあります。