○固さをとり、自在になる
姿勢については、立っても座っていても、糸で頭のてっぺんをつるされた操り人形のようにイメージします。これは、発声に限らず、多くの分野で、姿勢やフォームの例えとして使われています。ちなみに、喉の喉頭も、筋肉で吊るされ、ぶら下がっているのです。
そこで、野口三千三の野口体操ほか、いろんな体のメソッドには、ゆらゆらと動かす、海藻の漂うようにとか、金魚の尾びれのように揺らす、緩ませる方法など、多くのメニュがあります。坐禅なども、座るときにおもむろに左右に揺らしてから、少しずつ、その揺れを小さくしてピタッと定めるとよいようです。
発声のトレーニングメニュにも、歩いたりボールを受け渡したりして行うのがあります。これも固さをほぐし、心身の柔軟な状態を取り出すことが狙いです。
○声と感情の解放
感情は、頭では抑えられません。「頭ではわかっているのに…」となるのが、感情です。
それを、これまでの時代、大半の人間は、声を出して解放していたのです。ですから、声が出せないようでは、痛みだけでなく、大きくストレスをためることになります。声を抑えると心身に歪みが生じかねません。
○スポーツに学ぶ
スポーツやダンスでは、それなりに慣れないと緊張が抜けず、いつもの感覚さえ働きにくくなっていることが自覚できます。ですから、その基本動作、型あたりから入る方が、ヴォイトレの最初の感覚づくりには、向いているように思います。ヨーガや気功や武道などでもよいのでしょう。
○急に変えない
発声の必要性からは、運動は歩くことでも充分です。ランニング、ジョギングなどは初心者には、やや過剰です。体力、筋力の強化になるのですが、人によってはいきなり行うのは、ハードにも思います。慣れていないために疲れたり固まったり緊張が解けなくなるなら逆効果です。
声は微妙なものなので、声以外の日常の条件は、少しずつ変えていくようにしましょう。
○環境を整える
練習には、できるだけ静かな広いところ、室内なら天井の高いところが理想です。
吸音、遮音については目的によります。モニターや反響音よりも、体の感覚で、よし悪しを判断できるようにしていきましょう。
○呼吸トレーニングの是非
無意識下の潜在能力を発揮させるには、呼吸が、もっともアプローチしやすいものとなります。意識的にコントロールもできるし、無意識でも働いているからです。
変わることは、必ずよし悪しの両面を伴うものです。ですから、「呼吸の強化などはしない方がよい」と言う人も少なくありません。
しかし、メリット、デメリットの両方があると知った上で扱うのなら、何もしないよりはずっと上達に寄与します。
足らない人は補わなければなりません。そこで急激で過剰なトレーニングをしようとすると、一時的に乱れるのは当たり前のことです。
○トレーニングの必要性
トレーニングは、目的を早く達成するために行うというだけではありません。人間、トレーニングによってでないと到達できないレベルもあります。そちらの方が、私は、ヴォイストレーニングの本意だと思っています。
何もトレーニングもせずに、歌ったり話したりするのに反対というのではありません。目指す目的やレベルによります。また、何をもってトレーニングというかによります。
私たちは、誰でも話したり読むこともトレーニングしてきたから、今、できているのです。
○トレーニングで気をつけること
一見、トレーニングというイメージは、ハードなものに思われます。だからこそ、その逆のことを失わないようにしてください。
大切なことは、しなやかさ、なめらかさ、伸びやかさとでもいったらよいでしょうか。
イメージやことばは、自分に心地よいものを使いましょう。
日常のいろんな出来事が心身には大きな影響を与えるからです。それをイメージやことばで、うまくリセットするのです。たとえば、トレーニングと次のようなことばを結びつけてみましょう。
□内なるエネルギーを感じる
□疲れを感じない
□だるくない、すっきりしている
□よくみえる、聞こえる
□空気がおいしい
□ご飯がおいしい
□ぐっすり眠れる
□目覚めがさわやか、すっきり
○ほぐすことと学ぶこと
両手を上に伸ばして背伸びをして戻します。3回くり返してみます。自分の体を感じましょう。
体の疲れがほぐれていくのを感じてください。そのときによって、感じ方も違ってくると思います。そうして心身の一体感や脱力を学んでいきましょう。
声は、学びにくいので体から学んでいくとよいのです。あるいは、これまでの体のトレーニングの経験を思い出していくと、学びやすくなります。
○ヴォイトレの虚弱化☆
ヴォイトレのメニュに、心身のリラックスへの配分が多くなりました。これは、教え方が丁寧になったこともありますが、昔よりも、そこが劣っている人が増えたことを表しています。
特にヴォイトレに関わる人にそれが多くなったことでしょう。何よりも、トレーナーにもそういう人が多くなったのだと思えます。つまり、分野として虚弱体質化しているのです。
○パワーコントロール
本当に学ぶのは、心身のリラックスなどではありません。そこから得た感覚を声のパワーコントロールに活かすことです。そこが結びついていない解放目的のメニュが、いかに多いことでしょうか。それだけでは何にもなりません。☆
脱力にも程度があります。極端な話、顔が緩むと鼻水や涙が出るし、下の方なら失禁、脱糞してしまうのです。
○不しぜんを自覚する
立つということ自体が、緊張で支え重力にも反しているので、不しぜんなことです。
人によっては、横になって始めることをお勧めしています。
息を吐きながら上体を前屈します。声や体との連動を確認してみてください。しぜんに働きやすくなっていますか。
呼吸は、寝ているときは無意識で、腹式呼吸が優位です。何かをするときには、息を止めたり長く吐いたり、急に吸ったりして不しぜんになります。せりふや歌をそうした動きからみると、多くの人にとっては、不しぜんなことを行っているわけです。
○不しぜんをしぜんにする☆
普通の体での不しぜんなことを自然にするには、“普通でない体”にするしかありません。感覚やイメージでもかなり変えられますが、徹底した差はつきません。このあたりもまた、目的とどのレベルを求めるかによります。
他の才能があれば、あるいは、他の才能で補えば、歌やせりふは、総合的なものですから、かなりのレベルで早く扱えるようにもなります。
ただし、普通は、トレーニングして、声の力をつけるのが正攻法でしょう。他の才能がある人も、そうすれば、さらによくなります。正面から取り組むと、声の可能性と重要性に気づかないはずはないのです。
○伸びとあくび
頭を使うと緊張して疲れ、眠くなったりあくびが出ます。それは、身体としての頭=脳を守るためです。しかし、熱中して集中しすぎたり、ストレスで疲れすぎたりしていると、そこに気づかないまま疲弊してしまいます。
両手を伸ばしてあくびをしましょう。その動きが、私たちをしぜん体に戻すきっかけになるからです。そういう動きを利用しない手はありません。
○首のリラックス
首筋が立つ、これは、胸鎖乳突筋のことですが、怒ったときや悲しいときに目立ちます。首が緊張しているのです。その状態は、発声によくありません。
首筋をほぐします。首を上下、左右に動かし、左回り、右回りと回します。
○ローテーション☆
どのメニュも、回数や行うテンポは、あなたが決めてください。そのときの状態に合わせて決めるとよいでしょう。そうして、トレーニングを主体的にしていきます。
毎日、決まった回数がよいと思うなら、それでかまいません。
ローテーションは、一定期間、同じにしますが、特別なときは変えてかまいません。また、随時、見直しては変えるかどうかを考えるのです。
いつも同じ時刻や同じタイミングに一定の時間をとることを守った方が、続けやすいしチェックにもよいでしょう。
○丹田とベルカント
呼吸を主体とした声のコントロールのために体の感覚を深めましょう。
日本では、古来、呼吸の中心、ひいては、歌やせりふの源を丹田と表してきました。丹田呼吸などと言われて、多くの人が継承してきました。
しかし、そこから、方法が派生していくと、偏りや誤解が生じるものです。ベルカント唱法などと同じく、なんとでも都合よく、実体を伴わずに使われてしまうのです。
そこで、私も、こうしたことばを使いにくくなってしまいました。ことばのもたらすイメージに個人差があまりに大きいと、結局のところ、使えないのです。
○重心
丹田を重心のように考えてもよいとは思っています。ただ、重心は、移動できます。上下左右、前後にも動きます。足を開いて左足に体重を移すと重心もそのまま移動するわけです。この動きからでも、いろんな感覚、センサーの能力を深められます。
揺らす、揺れる、緩むなどと同じような解放の動きです。
動いて、鈍いところ、こったところなどがあれば、こうしてほぐしていきましょう。気分、気持ちに敏感になってみましょう。
そして重心を納まるところへ戻してみましょう。気分がおちついてきたら、そこがよいところなのでしょう。
○部分と全体
気持ちよくなり、気分がよくなり、体も表情もほぐれてきたら、表情も微笑んでいるようになるでしょう。こういう状態でトレーニングを行うのが理想です。
頭、顔、胸、腰、手足、その指先まで触ってみましょう。そして全身のつながりを意識するのです。ほぐれて心地よい、「何となく」でよいのです。一時、日常のこと、仕事のことを忘れましょう。
○指示下と自己流☆
トレーナーの指示に従って行っているうちは、なかなか主体的になりにくいものです。
強い口調で強いられたら、その通りに行っていても、どこかで反発したり偏ったりしてしまうのが人間です。人には、自他の区分があるからです。
一方、自らが感じたり思うままに行うと、しぜんな状態でやりやすくなります。そこは原点です。しかし、反面、そこに居着いてしまいがちです。すると、いつまでも同じ状態から抜けられず、上達へアプローチできないことにもなります。自己流となると、それは、周りの人にも認められないし、しぜんな状態にも反するということで可能性を閉ざしてしまうのです。
他人の指示に応じつつ、自ら主体的にこなしていきたいものです。他人の指示を共同作業として、いや、むしろ自分の望む方向へ一致させていくのです。主体と客体が一致するのが理想といえます。
○原点は赤ん坊☆
小さな体でも、赤ん坊の声はよく通ります。遠くまで聞こえます。その声量にさえ負けているのなら、学ぶことはそこにあります。しかし、その声を出せるようになったところで何ともなりません。
小さな体でも、あれだけの声を出せるのだから、私たちはもっと大きな声を出せると思えばよいのです。しかも、かつて自らも出してきたはずです。そこを忘れてはなりません。
それを妨げているのは何かということです。その妨げを除くことで原点に戻れるのです。赤ん坊は目標ではなく、原点なのです。
原点に戻っては、また歩んでみる、そのくり返しです。赤ん坊の状態がよいといっても、赤ん坊になったら何もできません。そういうことです。
○赤ちゃんとライオンの発声
赤ちゃんは、腹式呼吸と大声の発声の見本として、よく取り上げられています。小さな体であれだけの大きな声が出るところで、体、呼吸の使い方の一体の感じの例として、最適なのでしょう。でも、喉声ですから、よい声とはいえないでしょう。
似た例では、ライオンの吠える声も、ときどき例として、使われています。最近も、ある歌手が動物公園で研究する姿が放映されていました。
何事からも学べますが、学ぶところをしっかりと設定することです。人から聞いたからといって、まねをしているだけでは学べません。
○公の声
ときどき、学生さんの就活や面接でのヴォイトレを引き受けることがあります。ビジネスや公式の場では、よそいきのことばと声を使うので二重に難しくなるのです。外国語で話すようなものですから、そんなに簡単なことではありません。
しかし、役者の初舞台と同じで、慣れていないだけのことです。相手は、慣れによって1、2年で誰もが克服できるところをみているのではありません。慣れでは何ともならないところ、本気度や個性、仕事の能力を見ているのですから、あまり囚われないことです。その上で、ヴォイトレとことばの練習をしておきましょう。
○声と血管☆
「人は、声とともに老いる」これは、アメリカの医学者、ウィリアム・オスラーの「人は、血管とともに老いる」のことばから、私が仮借したことばです。声帯への補給路は、一本の血管ですから、血管と声とは深い関係にあるわけです。
血管は、体中に10万mほど張り巡らされています。毛細血管ともなると、髪の毛の10分の1、赤血球がギリギリ通れるくらいです。毛細血管は、修復されるし新生もします。しかし、老いていくとゴースト血管となります。20代から60代までで4割も減るそうです。シナモン、ルイボスティー、ヒハツ(ヒバーチ、ロングペッパー)がよいそうです。血流によいのは、玉ねぎ、ショウガ、酢です。
○自己中心社会と声
自分の声を聞いて、逃げ出したくなるのは、マイナスの現実を前にしたときの自己愛です。ある実験では、声を褒められた人は、自分の声の録音を聞くことを嫌わなくなるといいます。
「ハロー効果」と「栄光欲」ということです。
今は、モニタリング社会です。皆、どうみられるかをモニタリングして、どう見せられるかを演じているといえるのです。それは、カメレオン社会ともいえます。本音と建て前が明らかに違うのに、同調してみせるからです。
○話し方の前に声
声は、自信、意欲、本気、気構え、誠意、信頼、情熱、心、気持ちを伝えます。
自分の声は自己流の発声、くせの塊です。自ら習得していないし、習得するものとも思っていないからです。そのため、素顔のまま、いや、髪ボサボサ、ひげボウボウで人前に出しているようなものです。したがって、自分の声は、聞くのも嫌となるのです。
○話より歌から
歌の発声から話に入るのは一段上から切り込むことです。これまでの話し声を離れて、少しパワフルな声を感じることで、声に必要な要素が整っていきます。心身の力が加わるので、しぜんと一段上のスキルが身につきます。
カラオケの歌唱では、話し声と同じくらいかそれ以下の声量で歌っている人が多いです。声をマイクで変えているのでは、元の声は、そう変わりません。生の声での歌の力を活かしてみることです。
歌手や俳優でなくても、声のトレーニングは必要と思われます。それで歌手や俳優のような声になれるから、やってみる価値は充分にあるでしょう。
○呼吸と発声と感情のアウトプット
声が出やすくなると話し好きになるものです。歌も発声も、それ自体、ポジティブなものです。それは、一歩、前に踏み込んでいるからでしょう。
心身によいのは、姿勢、呼吸、発声にあらゆる心身能力が一体として使われるときです。健康づくりも兼ねられます。やる気も出ます。
○声のアドバンテージ
声で説得する、声で本音を見抜くなど、声の勉強をすると、コミュニケーションにおいて、大きなアドバンテージとなります。
人は、声で値踏みされてしまうものです。声のマイナス面は、明らかにハンディキャップになるのです。不安で頼りない声の人には、仕事も他のことも安心して任せられないでしょう。声は、外見の見方までも変えてしまうのです。
○自分の声の問題点
自分の声の問題を整理してみましょう。
喉の痛み、声枯れ、高音域が出ない
声量小さい、聞き返される、通らない、細い
声がこもる、幼い、不明瞭な発音、
など、何でもあげてみましょう。
○体を変える
呼吸に専念する、これは行動から心を変える一例です。
足先からほぐす。
重心を落とす。
そして、全身から出す声を目指しましょう。
声そのものは、一人ひとり違います。ですから、個性そのものといえます。
○吸うこと、吐くこと
充分に吸えない人、吐けない人が多くなっています。
よくない声を出してみる。
よいと思う声を出してみる。
そして、チェンジする。
声をとりまく環境を変えていきましょう。
それは、違う場へ行けばよいのではありません。
相手に自分への認識を変えさせていくのです。
○ステージに立つ声
ステージでの声は、日常の中でも人と会うとき、また、全てにおいて通じる声でありたいものです。
準備して完成度を少しでも高めていきます。
声の表情に気持ちは、出ます。声に対峙することです。
鼻歌からでも、かまいません。
不安があっても、いつも今日からスタートです。
そして、失敗しては学んでいくことです。
○先達の判断
幼いころ、自分を超えた存在は、親でした。次に社会の先輩、学校の先生などになります。そう考えて顧みると、今の自分のこともわかりやすくなります。
そのとき、自分が判断せずに、見たり聞いたりしていることは、しぜんに身についているのです。しかし、しぜんが理想というのではありません。周りの人の影響が大分、逸れてもいるのです。
○指月の指
「指月の指」とは、禅語です。月を指した指は、忘れるようにということです。
悪いほど偉ぶるのは悪人だけと思っていたら、病人もそうらしいです。
○一と全
一つのことが全てで、全てが一つにつながっているというのが、全能感です。
私は、声で、それを個=孤として感じてきました。もっとも印象に残ることには、いつも声が関与していたのです。これは当然のことでしょう。人が関わっていくことの大半は、声で介されているのですから。
○比較でのネガティブ
私は、相対的に比べて、判断をしています。それが仕事でもあるのですが、すでに偏見でもあるのです。
比較するとネガティブになりがちです。よくないところをよくするのが練習ですから、そこにこだわって見つけるということを課していると、欠点を洗い出すことばかりに目がいきがちです。要注意です。
○好かれるトレーナー
好かれるのは、よいところをみつけては褒めてあげるトレーナーです。しかし、それでクライアントが心地よくなっても上達はしません。声も人も育たないのです。
こと声となると、メンタルや暗示、イメージの効果が大きいので、急に2、3割もよくなったりするから、そういう人や方法が信じられてしまうのです。
○クローズでのレッスン
およそは、最初にトレーナーの思う路線が引かれ、そのトレーナーの価値判断に基づいて声が慣らされて出てきます。これは、まねの上達法と同じです。
まねをさせると、即効で、伸びることも珍しくありません。早ければ、数日、遅くても1、2年で、かなり鈍くて3~5年くらいで、それなりの結論、つまり、限界が出ます。
そこで壁となって、その後、伸びないのです。元々の伸びしろを使い切ってしまったためです。
つまり、今の体の条件の中での潜在能力を調整によって出したところで終わって、あとは、より小手先の技に走った分、伸びるといったところです(大きな意味では、最初から小手先なのですが)。それに気づかないのは、レッスンが一人のトレーナーとの間でクローズされているからです。
○条件を変える基礎
今、持っている条件そのものを変えなくては、大して上達しません。そのベースである器が大きくならないからです。それを行うのが、本来、基礎トレーニングです。
ヴォイトレそのものは、将来のために行うものですが、将来は将来、今は今として、結果を出すことも必要です。
しかし、長期的なレッスンの目的としては、安易に歌やせりふがよくなったということでは満足しないことです。
声そのものを今のレッスンできちんと感じることからです。その時間を体験する、それを重ねていくということです。
○原点に戻る
一回のレッスンでもわかる人はわかると私は思っています。
いろんなところで学んできた人ほど、基礎の基礎を入れていないのに、頭で考えて、わからなくなっていることが多いようです。
トレーナーは、神ではないのです。そのトレーナーのひいた路線にのっかってしまい、いつしれず鈍ってしまって気づかなくなってしまっている人が多いのです。最初の1つ、2つのちょっとした効果で満足してしまいがちです。自ら感じて深めるのを忘れてしまうからです。
声を出す、その原点に戻って、もう一度、積み重ねていきましょう。
○地に足をつける
目標をもつことを急ぐあまり、他の人のようになろうとしたり、他のところへ属して頼ろうとなってしまうケースは多いものです。「プロダクションを紹介して」などというのも、その病の一種です。
レッスンと同じことで、教える必要のある人は、教えてもわからず、教えなくてよい人は教える必要もない、紹介しなくてはいけないような人は紹介してもうまくいかず、うまくいく人は、紹介しなくてもうまくいく、そのように世の中は動いています。
何であれ、世の中に対して、できることで仕事をしていくことです。それをしっかりとしていくことで接点がついていくものです。
○プロダクションの紹介
どこかにあなたを紹介しようという人がいるなら、それは、どこにメリットがあるのかを考えることでしょう。あなた自身の才能にでしょうか。
お金を払って紹介してもらっても、そのお金は紹介者か紹介先に行くだけです。芸能プロダクションには、レッスン料の徴収などで運営しているところもあります。
そのお金を、彼らはあなたではなく、価値のある人に支払って仕事をしてもらったり、スカウトに支払ったりすることでしょう。また、あなたのような“お客”を集めるのに使うでしょう。
○教わること
教わりはしても、それは、一方的に与えられるものではなく、それによって気づいていく、判断の基準とそれをどう満たすのかを独学よりも早く深く知るためです。
次に行くのでなく、今のことにより深めていくものがあることに気づきましょう。そこから自らを知ることも、発現することもできるのです。
○流れのままに
誰がどう教えても、どんなレッスンでもトレーニングメニュでも、どんなトレーナーでもよいと思うのです。何であれ、誰であれ、学ぶところはあります。
それをきっかけに、内を深めていけば、自ずと次のステップがみえてきます。
すると、誰の何をどう必要とするかがわかってくるのです。第2、第3のステップで、必要な人や仕事に出会っていけばよいのです。
○流れを切る
出会いを妨げてしまうクローズな場、仲間意識、師弟関係こそ、ある面では、表現者にとって、もっともリスクのあることです。
そこに甘んじるくらいなら、その程度の能力、気づき、学びであり、そのくらいのレッスンやトレーニングです。それはそれで充分、なら、分相応といえるのです。一時、そうであっても慌てる必要はありません。気づくこと、そこがあってこそ、流れが切れるのです。
○呼吸と三昧
呼吸から感じてみましょう。生涯で呼吸は5億回、心臓拍動は20億回と言われています。
呼吸に注意集中して、一心不乱になりましょう。呼吸三昧です。三昧とは、没頭することです。
○縁起
個人と関係性とは、仏性と縁起ですが、これは、どちらかというものでなく、両方が伴っていくものです。外から押し付けられたり教えられたりするのではなく、内から充分に出していくのです。
基本というのも、外のものをまねするのではありません。まねすることを契機として内にあるものを引き出すのです。