「自主的に学ぶということ」

 

○スクールと養成所、研究所との違い

 

 

 

私の研究所でのレッスンとトレーニングは、舞台で一流でやるために、声とそれに関わる全てのことを鍛え磨いていくことを目的としています。アーティストとか人として評価されることは、別のことです。

 

それにはよい作品を残していくことです。そこに永遠の命を持たせます。すごいものが出ていたら、そのことで認めます。そのことを中心に、私はやってきました。

 

いろんな苦い経験もたくさんありました。勝手に期待して先生を祭りあげて、努力もしない。効果がでなければ、他の先生について、小手先の上達に喜ぶ。次々と他の先生へうつるのでは、実力のキャリアでなく、先生歴しか増えません。そのうち、ほめて認めてくれる先生に落ち着くのでしょうが、世の中でやっていけるための力はつかないのです。

 

 

 

〇期待と自立

 

 

 

人に期待するということは、第一に自分にその見返りが欲しいということです。自分にも同じだけ期待して欲しいということになります。それには自分の力をつけなくてはいけません。そしたらまわりが世に出してくれます。

 

日本では、力がないままで、媚びてくる人を大事に、親切にする先生が多いようです。先生のいうことをハイハイと聞く人の方が使いやすいから、重用されるのでしょう。

 

そうなると、人間的には、よい人で、専門職では独り立ちできない人ばかりが、たむろするようになります。そのため、場がダメになってしまうのです。

 

才能の世界では、常に創造、表現での実力勝負です。そのことを理解していないのです。それには、自立した精神をもつこと、これが芸の技術の前提として大切なことです。

 

 

 

〇批判より実践

 

 

 

誰でも入れるところにいることは、何ら、先を約束しません。しかし、どこかにいるのは、とてもよいことです。あとは、そのことへの自覚の問題です。それがわからなくなる場は、よくありません。ただいるだけで安心するところでは、大して得られません。学ぶべきことは、内容に加え、意欲と自分の売りなのです。

 

どこでも、友達ができ、先生批判が出てきます。自分が大したことないことを棚にあげ、悪口をいいます。そんなことをやっている暇があれば、一つでも顔を出せるようにすることでしょう。

 

自分の未知の将来より、先人の実績に頭を下げることです。少なくとも自ら10年やって、実績を残した上で、他人のことは問うことです。そのときにやれている人は、自分を問い、やれていない人は、他人を問うものです。

 

実際に長くやっていける人は、とても少ないのです。このままでは自分がやれていかないことを知るとともに日々、改善、革新していくことを大切にしてください。

 

 

 

〇群れることで自己肯定しないように

 

 

 

素質ある人でさえ、才能が発揮されぬまま、本人はやれるつもり、やれているつもり、やっているつもりになってしまうのです。本質がみえなくなっていくなら、何のための勉強でしょうか。

 

これは、逆手にとれば、学校やサークル運営の秘訣なのでしょう。どこでも、来る人たちに任せると自らそうしてしまうものです。ちょっと長くいたら、物知り、うんちく通(いわゆる茶坊主)になります。世に出て行けず、そこで偉ぶるためにいるようになりがちなのです。トレーナーは、それを防ぎ、本人たちの見えぬ先を感じさせて導くべき存在と思います。

 

 

 

〇場づくり

 

 

 

私は、自分の他のあらゆる力を総動員して、得たものもすべて声に(=研究所に)つぎ込んできました。結果、お金に替えられないほど、自分の勉強にも経験にもなりました。会報には、生徒の原稿まで打ち込んで載せて、自分といらしている人の勉強に供してきました。何事であれ、自分にどれだけ投資したかがすべてです。

 

私がビジネスをやるなら、こんな効率の悪いところに、旗などを立てません。多くの起業家にも私はアドバイスしているので、そのくらいの能力はあるつもりですが、それゆえ、あえてこの場は分けています。ここは私のライフワークの場です。

 

 

 

〇最大に活かす

 

 

 

なぜ多くの人は、自分の器でしかみられないことを知って、視野を拡げようとしないのでしょう。

 

レッスン代は、消費でありません。投資です。自分への付加価値づけのためです。

 

レッスンは、トレーナーの時給いくらだからという価値ではないのです。相手の時間価値から算出すべきでしょう。

 

そこでもっと真剣に作品の価値やイメージや音楽のレベルや方向性をめぐっての創造的なのやりとりをしましょう。誰よりも活かそうと考えないのでしょうか。

 

声だけに、歌だけに、音楽だけに凝っても、その先に何をなすかがないと、どうしようもないのです。研究所はその試行が許され、チャンスとなる時期、場としてあるので、まず、そこからです。

 

 

「海外とワークショップと観客について」

 

○海外の音楽スクールについて

 

 

 

日本では、「バークレー中退」などというのが肩書きに使われているそうです。卒業していないのは、肩書きではないのです。海外では入るのは誰でもお金で入れるからです。出るのが難しいのです。「早稲田中退」などというのが、日本で肩書きとなるのは、日本では難しいのは入試で、卒業は簡単だからです。

 

向こうの人はフレンドリーです。音楽に対して自分たちのトレーニングには厳しくても、日本人には本場にきたことで歓待してくれるからです。私たちが、外国人の来日をもてなすのと同じです。本来、差別を受けるくらいではじめて対等といえるのですが。とにかく現地では、ほとんど脱落するか日本人村にいます。

 

声を聞けばわかります。ダンスや楽器ほどの上達の効果やレベルには到底、及びません。

 

日本人の弱点である海外の権威を掲げたい人は、他の分野と同じで、あとを絶ちません。今だ、日本独自の歌を世界に打ち出せずにいる遠因です。私も世界中の海外や現地スクールにはよく行きました。これについては、いつかまとめます。

 

 

 

〇紹介

 

 

 

「すぐに紹介してください」と請われるのは、困りものです。紹介という意味をわからない人を、どうして紹介できるのでしょう。留学では、音楽に限らず、けっこう問題を起こしている人が多いのです。

 

音楽留学の実体は、体験レッスンにすぎないことがほとんどです。どこのスクールでも、日本人には上客としてVIP対応してくれます。それは、ビジネスだからです。

 

 

 

○ワークショップについて

 

 

 

だいたいのワークショップの場合は、“自分で声が出ない状態を作っている”のを解放していくのです。それが、ヴォイストレーニングの名で行われています。トレーナーが、楽しくリラクスしてやろうとセッティングして、みんなでワイワイやるうちに、気持ちが解放されていく。楽しいから声が出る、うまく声が出た実感が得られる。これを目的にしているのです。

 

主として、声楽家か劇団の人が一般向けにやっています。それは、ファンを広め、ガイダンスとしての役割になっています。

 

 

 

〇ワークショップの効用と限界

 

 

 

心身の解放だけで本舞台に通用するはずはないのです。わずかな時間で、参加した人の満足度で問われるから、そこでのサービス、効果体験の実感させなくてはなりません。それが、トレーナーの評価となります。

 

体も気持ちも解放されている方がよいのは、確かです。調整トレーニングがノウハウのようになるのは、一般の人はよい状態を自分一人ではとり出せないからです。

 

しかし、調整トレーニングというのは、調整できた状態になれば通用するという力のある人たちにしか、本当は通用しないのです。そのことをわかっていないところで、プロが一般の人にセッティングしているのが、ほとんどのワークショップです。

 

トレーナーには、自分の歌や発声ではできても、そのプロセスの把握ができず、素人も自分と同じやり方でやればすぐできると思う人も少なくないようです。こればかりは、いろんなタイプの人を長期でみた経験がなくてはわからないことかもしれません。一人でできた人ほど、自分のプロセスの把握ができていない人が多いのです。

 

 

 

○客に合わせることで失うもの

 

 

 

歌というのは、それだけで完結された作品です。レベルが高ければ、それに対してお客さんは感動するし、評価します。エンターテイナーとしての実力は、かつては音声での表現力を中心としました。音声で完結されたものは、一方的に発信されてから後に価値を生ずるものです。

 

プロデューサーは、「インターラクティブだよ、お客さんを盛り上げてこそ、いいステージができる」といいます。一体感も共感も大切ですが、それはステージから動かしていくものです。

 

お客さんによってとなると、そうでないお客にはどうする、ということにもなります。

 

客にあわせたステージになっていくから、日本では、誰もが分野別の肩書きのついた歌手になるのでしょうか。シャンソン歌手とか演歌歌手とか。よく、「自分の声はどの分野に向いているか」などと聞かれます。

 

 

 

〇声が出なくなる歌手

 

 

 

日本の場合は、お客の感覚の方が最大に優先されているかのようです。歌手は年齢と共に声を使わなくなってきます。20代くらいでハードに歌ってきた人でも、3040代で声が出なくなる、それは使わないからです。ステージの要求としてそうでないもので感動させたり、聞かせるようになってきます。だからこそ、目一杯のヴォイストレーニングをやる必要がどの国よりもあるのです。ヴォイトレの立場としてはややこしいところです。

 

こういう話は、ヴォイストレーニングをするのに、レッスンの位置付けとして、どう考えるかのヒントです。自分がどう接点をつけるか、そのことと合わせて考えてみることです。

 

 

「スクールのトレーナー」

○楽器プレイヤー出身のトレーナー

 

 

 

ピアニストやバイオリニストなら、技術の向上がそのまま目的の達成になるでしょう。プロになるのに、音が自由に出せること、演奏技術がすぐれていることが必要条件です。それだけで充分ではありません。自分の演奏ができなくてはいけないのです。

 

プレイヤーの場合、こうしてプロレベルに近づいていくということは、明白です。だから、プレイヤーなら誰でも、楽器を技術として教えられるということにもなります。また、楽器は個体差はありますが、材料と加工技術で合格品は決まります。ですから、完成品である楽器があれば

 

1.教えること

 

2.教えるレベルとプロセス

 

3.身につけるべき技術

 

これらが決まっていると、プロになれるかどうかは約束できなくとも、教えることで相手が上達することを保証できます。きちんと評価される土俵があるからです。それゆえ、プレイヤーとして、そこからプロになるにはとても厳しくなります。それを厳しいととるか、楽しいととるかはその人しだいです。

 

これに比べると、歌や声では、とてもあいまいです。楽器が、もって生まれた声帯であるから、完成などないし、個性差が出てきます。

 

 

 

〇音楽スクールとヴォイトレ

 

 

 

次のような出身のトレーナーがいますが、ここでは詳細は省きます。(参考『声優・俳優トレーニング入門』)

 

・声優出身のトレーナー 発音、セリフ中心

 

・舞台俳優出身のトレーナー せりふ、表現中心、身体しぐさとの一致

 

・アナウンサー、ナレーター出身のトレーナー 発音、アクセント、イントネーション中心

 

・音声医のトレーナー、言語聴覚士 正常な発声と発音の矯正とケア

 

 

 

○スクールについて

 

 

 

音楽スクールは、多くの場合、ギターやピアノを中心に開設されてきました。ピアノやギターは、楽器を手にもった日がスタートであり、受講生は明確にレベルの差に応じて分けられます。マニュアルや教本もあるので、一から十までそれに添って教わることができます。プロである演奏者=指導者の技術を真似ていけば、ほぼ間違いなくある程度までは上達できるのです。

 

それに対し、ヴォーカルというパートは、まず、楽器である体が、ほとんどヴォーカリストとして必要とされるだけの声を出すことに対応できていません。まして、ヴォーカリストのレベルをどのように判断して捉えるかは、難しいことです。ややもすると、基本がまったくなくても器用に歌い慣れているだけの人を上級にすることも少なくありません。

 

そこで、誰がどのように教えるかというトレーナー選びの問題は、困難を極めています。多くのスクールは、音大卒業生やプロのヴォーカリストを招いています。そのときにヴォーカルの特殊性からくる問題には、気づかないままです。

 

あるスクールでは、「○○というヴォーカルはよいけど○○はだめ」などと、歌手の評価と混同をしていました。トレーナーの評価基準が、そのトレーナーの好きな音楽、歌、歌手に左右されてしまいがちなのです。やってきたものの方が教えやすい。というより、やったものしか教えられないからです。おのずと、歌謡教室になるのです。(私は常に半分は新しいものに材料をとります)。業界のプロデューサーの関わるところ、代表者がプロデューサーのスクールにも多いパターンです。

 

 

 

○ヴォイストレーニング教室について

 

 

 

今、ヴォイストレーニングの教室がたくさんあります。プロデビューを掲げているところもあります。「デビューさせます」という売り文句で採るのは、おかしなことです。デビューできる人には、プロデュースする側が、お金を出してデビューさせるものです。オーディションも同じでしょう。

 

とはいえ、利用できるのであれば、何でも利用すればよいのです。無料体験レッスンや見学もやっているので、行ってみるとよいでしょう。音楽スクールビジネス業界というものがわかるでしょう。

 

そこにいる先生も、その仕事で生活しているなら、プロといえるのです。生徒のレベルによって、先生の才能がうまく使えていないことも少なくありません。どこでもあなたしだいで、大いに得られるものもあるのです。あなたに能力があれば、どこでも吸収できるものはたくさんあります。安くて近くて多くの時間が受けられるのがよいというケースもあります。

 

 

 

○外国人のトレーナーについて

 

 

 

欧米には優れたトレーナーがいます。しかし日本人がそれについていけるかということになると、別です。コミュニケーション重点がおかれ、きちんとしたレッスンが成り立っていないのが、ほとんどの現状です。私も、これまで何人かのすぐれた外国人にトレーニングを受け、海外の、日本人の通っている学校も見てきました。研究所でもトレーナーとして何人かの外国人も使ってきました。

 

確かに個人として能力はあります。声もよいし、歌もうまいし、教える能力もあります。

 

しかし、自立していない日本人には彼らを使い切るために、多くの問題がそれ以前にあるのです。何かうまく歌える人といたら、うまくなりそうという雰囲気に甘んじてしまうことが多いのです。すでにプロの人や十代の人には、一つの経験としてよいかもしれません。

 

日本教育では、他の国に比べて、音声表現に対する耳、発声器官のコントロール能力がついていかないのです。そこを見ずに始めると、多くの場合、うわべは上達したようにみえても、不毛です。彼らのすぐれた才能も本当には生かせません。

 

 

「声楽をポップスに活かす」

○声楽の条件

 

 

 

声楽の条件は、日本人には、過酷です。日本人の日常生活をひるがえすものです。だからこそ、おのずとトレーニングになります。

 

1.オーケストラに声が打ち消されない(声量)

 

2.遠くの観客にマイクなしに聞こえる(共鳴)

 

3.原調で歌唱、演奏する(声域)

 

 この3つを目指すと、基本の条件づくりのトレーニングまで、必要となります。その必要性の高さが最大のメリットといえます。

 

 

 

〇声楽の影響

 

 

 

欧米から入ってきたポップスやその日本調に変じた演歌は、当初、声楽と切り離せなかったのです。声楽家がポピュラー歌手になりました。これが声楽の発声トレーニングが、日本のヴォイストレーニングのベースとなったことにも影響しているのです。

 

1.日本語の母音共鳴中心

 

2.メロディ重視

 

3.発音、ことば重視(ストーリー重視)

 

ポップスは、ことばを重視しますが、声楽は、声の音色、共鳴と声量を重視します。

 

 

 

〇高音での発音

 

 

 

ピッチは周波数、発音(母音)はフォルマントが決めるので、ある高さまでは両立できても、それ以上は、ことばは声をじゃまするようになります。声楽の最高高音での発音の正しさは、望めません。

 

これを役者のように、日本語の発音(ことば)を聞きやすくすること優先というなら、劇団四季のような発声の方針もありといえるでしょう。声帯の負担は大きくならざるをえませんから、その分、犠牲も伴います。

 

 

 

〇今のポップスに求められることと声楽

 

 

 

以前と条件が違ってきています。

 

1.マイク、音響技術の進歩

 

2.ことば(発音)の必要度の低下(テロップ/ライブ化)

 

3.海外のリズム(沖縄なども含め)の重視

 

ポピュラーを歌うのに、声楽のトレーニングは、必ずしも必要ありません。

 

現にJ-POPSテノールの発声で高い声を出している人はあまりいません。

 

しかし、体、呼吸、発声づくりに役立つはずです。

 

 

 

〇声楽に学べること

 

 

 

私は今いくつかの面で、歌手だけでなく、俳優や一般の人のヴォイストレーニングにも、声楽の有効性と必要を説いています。

 

1.声を、曲を、丁寧に扱える(ピッチ、音程、テンポに厳しい)音楽的基礎

 

2.音楽的な流れ(構成)、ベーシックな流れ(フレージング)を学べる

 

音楽的な流れ(構成)

 

3.発声のポジションが深い

 

日本語よりもイタリア語などで出しやすい(発声、共鳴、声区のチェンジ、声量、声域)

 

 特に、かなりのキャリアで限界を感じている人には、必修としています。

 

 

 

〇日本人の聞き方

 

 

 

日本人の耳は、

 

1.母音を聞く

 

2.メロディを聞く

 

3.ストーリーを聞く

 

ようにできています。歌からみると、優先順は、321、ヴォイトレでは123です。

 

 

 

〇声楽の実績

 

 

 

声楽は、確かな実績をあげています。ただ、あまりにも膨大に使われているので、一くくりで述べられるものではありませんが、

 

1.世界で地域、民族を問わず普及し、ある程度の成果をあげた(歌手やトレーナーを育てた実績)

 

2.誰もが何年かやると、それなりに声楽らしい声になる(とにかく素人離れする、一声のレベルで変わる)

 

3.日本人に、美しくひびく声はよく聞こえる(日本語に合っている)

 

レーニングにおいて大切な目安となるトレーニングした声の獲得という結果が出やすいのです。

 

 

 

〇声楽と劇団、ポップス

 

 

 

1.日本の劇団などの養成所の発声練習に使われている

 

2.日本の多くのミュージカルでは、オーディションなどの歌唱に声楽の基準がある

 

3.合唱やアカペラ、ハモネプは、特に有効である

 

声についての悪条件の日本人が、音大にいるうちにも、とにかく声域を先にのばし、次に声量をつけるのに使った声楽の発声法は、そこで問うのなら、ポピュラーやカラオケに充分通じるということです。もちろん、声楽といっても、ピンからキリまであります。

 

 

 

〇日本人のポップスで声楽を学ぶメリット

 

 

 

1.高い声がもてはやされている、原調で下げずに歌いたい(そのままコピーしたい方が多い)

 

2.声量に悩む人が多い

 

3.上達しているという発声法、呼吸法での基準がある

 

私は多くの人に声楽をお勧めしています。子供から年配の方に、老若男女問わず、初歩的なところをやってみるとよいでしょう。

 

重要なことは、一流の声楽家の少ない日本に、一流のレベルになるように教えられる人はどのくらいいるのかということです。声楽をきちんと学べるのだろうかということです。いったい、誰に、どこで、ということです。

 

 

 

声楽家をトレーナーにするとき

 

 

 

ここの声楽家トレーナーの採用のオーディションでは、いつも人材不足です。

 

ここで、いくつか、声楽出身のトレーナーに思うところと、実際にお願いしていることを述べておきます。

 

まず、声楽家出身者はポップスを甘くみています。私から、声楽家にクラシックのままでは通じないからポップスを学べなどと、ヤボなことは言いません。声楽家にポップスは教えられないのは、百も承知なので、次のように考えています。

 

1.発声のしくみとその使い方を、きちんと伝える。

 

2.声楽をやれば、ポップスを歌えるとは思わない。

 

3声楽家の歌うポップスは違う。

 

声の出ることがポップスでは必要どころか、有利な条件とも限らないということです。

 

 

 

〇声楽をうまく使うこと

 

 

 

ポップスの曲にも、声楽の要素はあるのです。藤山一郎さんや淡谷のり子さんの時代あたりまでさかのぼれば、発声一つとっても簡単に真似できないことでわかるでしょう。しかし、今はこのことの理解は難しいと思われるのです。必要も感じないでしょう。

 

声楽出身のトレーナーは、判断の基準が、次のこと中心、あるいは、それだけになっています。

 

1.発声、呼吸法

 

2.共鳴、声区融合

 

3.ピッチとリズム(テンポ)、ことばの正しさ

 

そこにステージングでの個性やノリ、音色などの魅力があまり優先されないのは、仕方ありません。その上で、声ということでは、声楽であろうとポップスであろうと、理想とする発声は同じですから、声楽は使いようによっては、たいそう有益なのです。

 

 

「声楽家のトレーナー」

声楽家のトレーナー

 

声楽を学んできた音大卒というキャリアで教えている人にも、問題は少なくありません。私自身は、声楽の発声も、声という点では同じであると思っています。ただ、表現のスタイルと、それぞれの要素の優先順位、重要度が違うのです。

特に声域を絶対優先にした高音獲得競争は、キーを自由に移動できるポピュラーには、害になりかねません。その人に理想的な発声の追求が、地力とコントロール力をつけることで、声量や声域を拡げる結果となることにおいて、高音獲得も意味があるのですが。

しかし、高音を求める人にはポップスのトレーナーにつくより、声楽家がお勧めです。そこで私も協力いただいています

クラシックは、理想とする大歌手の歌や声を手本に鍛錬していくのですが、ポピュラーには見本がありません。お手本は、教わる人自身の中にある最高のもの(オリジナリティ)です。その個性を殺しては、何にもならないのです。ですから、声楽家を使うなら、その人をプロデュースできる判断力を持つ人が必要です。

 

〇声楽の本当の活かし方

 

オペラの歌い手、あるいはジャズ、ソウル、ロックでも、本当に力のあるヴォーカリストの声は、体から泉のように滞りなくあふれ出てくるかのようです。そのくらい声が自由に出れば、歌うのに苦労しないし、歌っていても気持ちよいと思う声を目指すというのが、ヴォイトレでの声楽のメリットです。

声楽はなまじ中途半端に学んで形にはならず、やる以上は、ある時期徹底してやることです。

ただし、声楽家は、一つの方法に固執する傾向が強いようです。ソプラノならソプラノ、しかも同じタイプしか教えない人が少なくないからです。とはいえ、例外もあります。

メリットとしては、声楽家は、ポップスから離れているから、歌の好みに偏らず、発声そのものに限られる点でヴォイトレに適任ともいえます。

 

○音大生のトレーナー

 

私がトレーナーで採用するのは、100人に1人くらいでしたが、今は推薦でだけ受けつけています。

オーディションでみられた音大出身生の特徴は、

1.ほとんどは大きな声か高い声は出るが、緻密なコントロールがない→正しい音程にこだわる、しかし、今は、大きな声がでない人が多いです。

2.頭部共鳴にコントロールされているが、パワーがない→今は、大きな声が出ない

3.リズム・グルーヴが入っていない→拍とテンポでとっている

4. ことばで、声の力と感情表現力がない

ポピュラーを手伝っていただけるのはありがたいのですが、感覚を根本から変えて、たくさんの曲を聞いて欲しいと思います。

日本や現代というのを知らず、関心も持たずして、声というのは歌えるのでしょうか。以前と違って、声だけ、歌だけでは食べていけないでしょう。

どうしてそうなったのかとみると、師の考え方からでしょうか。そこからみると、ドイツ式とイタリア式の違いなど、ささいなものです。

 

〇音大生の課題

 

ピアニストなども、私は独力でやってきたくせのあるポップスのピアニストよりも、クラシックでリズム感がある人の方が育つと使えると思っています。ですから、音大生とはよく接してきました。

声楽家も、学び始めたときから声を大切にして欲しいものです。声が未熟なうちに人に教えるのは、あまりお勧めできません。

日本人は話し続けるだけで声を痛める人が多いようです。ベテランの声楽家は別ですが、音大生あたりでは、総じてひ弱です。呼吸や発声のまえに、体力と集中力づくりが必要でしょう。

 

〇オペラ歌手の課題

 

声そのものの弱さと、表現力のなさを補うことです。

1.リズム、グルーヴ

2.声の強靭さ

オペラ歌手になりたいなら、10代からスポーツで体を鍛えることをお勧めします。三大テノールは、サッカー出身、ドミンゴは自分のチームをもち、パヴァロッティはプロ選手でした。ステージには、その運動神経や勘のよさが必要なのです。

何よりも今や音大入学を選ぶところで、保守的な気もします。昔はそれが挑戦でした。

音大を出ないとオペラのステージに立てないというのなら、それも仕方ないでしょう。専門家なら、専門家で極めたらよいのです。そこでの技術を習得したい人が、習えばよいということです。

 

〇オペラみたいな発声

 

よく「声楽をやると、オペラみたいな発声になりますか」と聞かれます。

この“オペラみたいな発声”のイメージを、日本人の中途半端なオペラ歌手が助長してしまいました。

私はダンスでコンテンポラリーをやる人に、クラシックバレエが基本となるというような次元で、声楽を学ぶことを勧めています。そこからみると、あまりに低次元の問いです。

ヒップホップ、ラップをやりたい人は、「クラッシックバレエをやると自分のダンスが『白鳥の湖』のバレエみたいになりますか」とは聞きません。変なイメージのついたオペラの発声を声楽とみるのでなく、クラシック(基本、原理)と捉えてください。

 

〇声楽を活かす

 

「声は強くなるのか」というのも、大体において、強くなると思ってよいでしょう。それを共鳴の技術でカバー、コントロールするのでなく、それだけで歌にしようとしたところでおかしくなってきたのです。

声楽は土俵がはっきりしているため、評価の基準がわかりやすいのです。私もときに「声楽でいうなら」という言い方をとることがあります。またトレーナーとして、声楽家をお勧めすることがあります。そのケース例としては、

1.表現力、演奏力(オリジナリティ)

2.発声と共鳴(技術)

3.声のよさ(素質)

日本では、1が欠けているといわれるそうです。ピアニスト、バイオリニスト、指揮者の世界での活躍をみると、世界にひけをとらない耳が日本人にもあるのです。がんばってほしいものです。