「声での成立」

○歌より「話」で表現の成立をみる

 

 あるとき、私は歌唱ではまだまだ表現できない人でも、2分くらいのモノトーク(日本語でのトーク)では、人に充分に伝えることができることに気づきました。そこは生活、実体験に結びついたことばがでてくるからです。そこでそのなかからの表現力をみることにしました。

 そこで歌手にも、モノトークを必修にしたのです。

モノトークとは、モノローグ(独白)を表現として成立させたもの、モノローグ=独白はダイアローグに対して用いられているので、それと区別して命名しました。

 

○役者として伝えてみる

 

 どれだけ歌で伝わっているかは、わかりにくいでしょう。本人自身が、歌で伝わっていないことがなかなかわからないのです。

 マクドナルドでの「いらっしゃいませ」程度にしか、伝わっていないこともわからないのです。それではトレーニングにもならないし、トレーニングの必要さえもないでしょう。それは会話やせりふなら、わかりやすいので、日本語でしっかりと伝えるところから、スタートしたのです。この研究所のレッスンが、歌手だけでなく、一般の人、役者、声優にそのまま有効なのは、そういう経緯があるのです。

 

○トータルとしてのトレーニン

 

 まとめると、学ぶことは、次のようになります。

a体と結びついた声-ブレスヴォイストレーニングの声づくり(声楽の体づくり基礎)

bことばと結びついた表現「モノトーク

c音楽と結びついた歌唱(カンツォーネ)フレーズ、リズム、感覚

 カンツォーネをイタリア語で歌うのはaに、日本語で歌うのはbに近く、ともに念頭に入れていくと、トータルとして理想的なトレーニングになるということです。

 

○歌唱と声づくり(発声)の判断は一時、反する

 

 自分へアドバイスする人が複数であることで迷うとしたら、大切なことなのです。こういうことは、すぐに解決しようとすべきことでないし、できないことを知っていれば、あせる必要はありません。レッスンには、解決するのでなく、問いを求めにくればよいのです。

 

・歌唱へのアドバイス―声の使い方~状態づくり

・声づくりのトレーニング―声の育て方、鍛え方~条件づくり

 この二つは、目的のとり方が違います。場合によっては、明らかに対立するものです。

 

○プロの即実践ヴォイトレ

 

 私はプロの歌唱、それもステージを控えてのアドバイスからこの仕事を始めたからよくわかります。

 すぐ本番を迎える歌手に、根本からの発声トレーニングは、リスクが大きすぎます。シーズン中にバッティングフォームの改良をするようなものです。できるのは、姿勢、呼吸の補完、といっても、ほとんどほぐしてリラックスすること。そのイメージ、集中の意識、共鳴の集約、声の統一くらいでしょうか。

 

○歌唱指導とトレーニングの違い

 

 歌唱指導では、ポップスにおいては全体のバランスをとり、演奏のラインからはみ出すことを防ぐことがメインになっています。客に下手に思われる要素があれば、隠さなくてはなりません。その上できちんと構成し、聴かせどころを強調し、曲の輪郭をハッキリさせ、表現らしさを引き立たせます。今や音響や視覚効果を考慮することが不可欠です。

 それに対して、トレーニングでは、根本的な改革を求められます。1、2割アップという改善では、大して変わりません。しかし、ほとんどのトレーニングでは、効を急いで少しよくするだけ、マイナスを防ぐことだけになっています。そういうものがヴォイストレーニングと思われ、行なわれています。

 

○声の改革

 

 声の改革というのなら、あらゆるごまかしや不鮮明なところを白日にさらし、一時、バランスを崩してでも、問題点を顕わにすることです。そして解決のための課題を鮮明にしていくことです。

 そこに声以外にも、アーティストのオリジナリティや表現とも絡むことなので、すぐにわからないこともあります。ときにプロのアーティストのイメージに、その声や体がそぐわないときは、アーティストと考え方が相反することさえあります。

 しかし、作品としてのイメージと体(のどの器質)からの可能性は、限界をも知って行うべきでないのに、音響技術でカバー(あるいは、ごまかす)すればよいということにはなりません。アレンジやリバーヴの効果に頼るから、将来の可能性まで損なわれるのです。

 

○日本人の欠点

 

 私が日本人の歌手や役者に決定的に欠けているとみなしていたのは、

1.力強さ、タフさ

2.完全なコントロール力、ねばり

3.声としてのオリジナリティ

4.演奏としてのオリジナリティ

5.即興力

 ほかにコーラスや構成、展開、全体を統一する力などもあります。あまりに多いので、そう簡単に変わりません。

 音響技術での補完が容易になり、客も一層の視覚的効果を求めるようになったので、声の問題そのものの位置づけや、優先順も以前よりあいまい(というか、ダメでもよく)になってきました。そのために、アーティストやプロデューサーと相談せざるをえなくなりつつあります。

 欧米のように、1~3の条件の上に4がのったヴォーカリスト、つまり、本人のもっとも可能性のある声(オリジナルの声)を取り出した上に、作品のオリジナリティをのせるところにまでいきつかないのです。そこまで求められないということです。